風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「わたしたちを連れ返してください」(詩編80:2~8)

 「わたしたちを連れ返してください」 

 

2024年3月10(日) 受難節第4主日

聖書箇所:詩編  80編2節~8節

 

 「わたしたちを連れ帰してださい」

 東日本大震災から13年がたちます。この説教は○○牧師が東日本大震災の後でなされた説教を基にしています。そのことを憶えつつ説教代読をしたいと思います。

 

 聖書朗読では新共同訳をお読みしましたが、口語訳聖書80編3節では「神よ、われらをもとに返し、み顔の光を照してください。そうすればわれらは救をえるでしょう。」

同じく口語訳7節では「万軍の神よ、われらをもとに返し、われらの救われるため、み顔の光を照してください。」と記されています。

 

 この詩編80編は北イスラエル王国が滅んだ後の、その苦しみの中で歌われた詩編だと考えられています。

 イスラエル王国として建てられた国は、第三代の王ソロモンの死後、北と南の二つに分裂をしました。北イスラエル王国と南ユダ王国です。そして北イスラエル王国は紀元前八世紀の終わりにアッシリア帝国によって滅ぼされ、南ユダ王国は紀元前六世紀の初めに新バビロニア帝国によって滅ぼされていったのです。その北イスラエル王国が滅んだ後に、神に救いを求めて祈られた祈りがこの詩編80編だと考えられています。

 

 自分達の罪ゆえにさばかれたことを詩人は承知しております。それ故「いつまで怒りの煙をはき続けられるのですか。あなたは涙のパンをわたしたちに食べさせ なお、三倍の涙を飲ませられます。わたしたちは近隣の民のいさかいの的とされ 敵はそれを嘲笑います。」(5b節~7節)と訴えます。

 アッシリアによって国が滅ぼされ、イスラエルの民はそこに住むことが適わなくなりました。アッシリアが、滅ぼした北イスラエル王国に対してどのようにしたかと言いますと、反乱が起きないように移住政策をとったのです。北イスラエルの国民を別の土地に連れて行きました。

 

 今日も難民と呼ばれる人たちがいます。各地で民族紛争が起こり、侵略戦争が起こり、自分の住んでいたところが戦場となって、そこで暮らすことができなくなり、隣国との境に難民キャンプをはって生活している人々もいます。

 そしてそれは私達がどこか遠くのこととしてニュースで聞くというだけでなく、故郷を失うという意味では、私達は原発の事故によってもはや住み慣れたところに帰ることが出来ないという人々がいること、又今年初めの震災によっても多く人々が亡くなり、多くの人々がいまだに避難生活を送っている、ということを身近に知っているのです。色々な形で住み慣れたところを奪われ失ってしまう、そういう人々がどの時代にもいるということを私達は知っているのです。

 

 「わたしたちを連れ帰してください」という切なる願いがあります。そこには家族と共に生きる、長年馴染んだ隣近所と一緒に生きる落ち着いた生活があったのです。けれどもそれが失われてしまった。自らの罪の結果ではありますけれども、しかし人は、自分の行っている罪がどれほど大きな報いとなって返ってくるのか、それを知らずに生きています。そのことが露わになって、そしてそれが自分自身に降りかかって初めて自分の罪が、自分達の民の罪がどれほどのものであったのかを知るのです。

 罪の出来事は周囲の人を巻き込んでいきます。「自分の罪は自分が負う」などとは誰にも言うことが出来ません。必ずやそれは自分と共に居る者達を巻き込んでいくのです。

 神の民は神の前に立って、人の罪を、そして罪がもたらす滅びの悲しみを知っていなくてはなりません。

 「神よ、わたしたちを連れ帰してください」というのは、古代のイスラエルの民の祈りではなく、今、この原発の事故が起こり、故郷を失い、流浪の民となった多くの人々が生まれた、この現代の日本で、私達神の民が祈らなければならない祈りではないのでしょうか。収束するのに何千年、何万年という単位の年数がかかると言われています。どうやったら元に返るのか、人の力ではもうとても予想も想像もつかないのです。無から世界を創り、私達の罪のためにご自身の御子の命さえかけてくださる、その神がしてくださるのでなければ私達は本来あるべき元へ返ることは出来ません。

 

 原発の事故だけでなく、神が創られたエデンの園に住んでいた人間がその罪ゆえにそこをおわれてしまった。よく「失楽園」という、「楽園を失う」という言葉で言われますけれど、そこを去らねばならなかった。けれど神は、もう一度私達と共に生きるために、神と共に私達が「良かった」と喜ぶことが出来るようになるために御業をなし続けていてくださるお方なのです。だから私達は主にあって望みを抱きつつ、この祈りを祈るのではないでしょうか。

 『神よ、われらを連れ帰し、み顔の光を照らしてください。主よ、どうか御国を来たらせてください。そうすれば私達はあなたの救いにあずかることが出来ます。』と祈るのではないでしょうか。

 

祈ります。

 主よ、どうかあなたのみ顔を私達に向けてください。光を照らしてください。そうすれば罪の闇に閉ざされたこの世にあっても私達は御国への道を見ることが出来ます。

 神よ、あなただけが私達を元へ、あなたが備えてくださった、あなたが良かったと言って下さった、あの祝福の元に返すことがお出来になります。

 主よ、わたしたちを連れ帰してください。み顔の光を照らしてください。そうすれば私達は救いを得ることが出来ます。

  アーメン。

 

 

この説教の後に選ばれた讃美歌は、「天の力に癒し得ぬかなしみは地にあらじ」と繰り返される讃美歌399番。

 

 

 



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「神の恵みに与った私達は、・・」(長老の説教補足からドストエフスキーまで)

夜うちに帰って、『福音と世界』「キリストの信実によって義とされる」を、疲れて途中で寝ぼけながら、数日かけて読んでいた。

 

以下に、「キリストの信実によって義とされる」(パウロの義認論を見直すーその二)から最後の部分を抜粋引用する。

 「霊の実」(「義の実」)の筆頭にパウロは「愛」を挙げている。当然彼の論敵も隣人愛を説いたであろうが、パウロは愛をキリストの十字架の死から解釈した。二・二〇でパウロはこう言っている。

 

  生きているのは、もはやわたしではなく、キリストがわたしのうちに生きているのである。今肉にあって生きている生を、わたしは、わたしを愛しわたしのためにご自身を渡された神の御子の信実によって生きているのである。

 

ここには「御子の信実」という言い方が出てくる。これはキリストの愛と密接な関係にあるが、愛の同義語ではなく、愛において自分を渡された神の子があらゆるキリスト教徒の(義なる)「生」の根拠として絶対的に信頼できる、という意味である。

(略)

 しかし、御子の愛が救出と義なる生き方の根拠であるとはいったい何を意味するのだろうか。五・一四でパウロは「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」の一句によって律法を要約した。これは、律法の要求の正当性の承認であると同時に、愛の定義でもある(定義の中に定義される言葉が用いられているにもかかわらず)。律法は愛を命じるがゆえに「聖なるもの」、「霊的なもの」、「神の約束と相いれないものではない」と言われる。しかし要求は要求の充足と同じではない。律法は命じるだけで「人を生かす力」を与えない。それどころか、律法授与の目的は「違反を促すため」であった。律法は、レヴィナスの言葉をかりれば「私が他者にたいして無限に義務を負っていること」を教えるわけだが、その義務を果たす手助けをするわけではない。

 しかしキリストが十字架の死において示した愛は、パウロによれば、この要求の完全な充足であり、言わば「他者に対する無限の義務を無限に果たして余りあるもの」であった(これを「脱自」と呼びたい)。(略)キリストの愛によって「罪」、つまり人間が他者を受け入れ自分と同じように愛することを阻んでいる構造的な力は克服され、その力の場から脱出する道が現実に開かれた。こうして今や「キリストにある」者は、キリスト(の霊)にあずかることによって罪の支配から自由にされ、愛と義を実践することができる(ガラ五・六、一三)。霊によって歩むならば「肉の欲」を満たすことがないばかりか、「霊の実」が結実し、その行き着く先は「永遠のいのち」である。「キリストの信実」を先述のようにとるなら、「キリストの信実によって義とされる」というテーゼは以上の意味(後半部)までも含むことが納得されるであろう。

 「越境」と比べて「脱自」は道徳的・保守的だとして嫌う人がいるかもしれない。しかし、これらはどちらも「自己同一性」から、つまり共同体的な在り方から出ることを意味し、どちらが欠けてもパウロの十字架の神学は成り立たない。キリストの十字架は、キリスト教徒の生を、苦難だけでなく愛についても規定するのである。

(太田修司=筆『キリストの信実によって義とされる』(その二)「福音と世界」(1996年4月号)掲載より)

 

途中で引用されている「二・二〇」はガラテヤ書2:20。この聖書箇所は、私がカラマーゾフの兄弟のアリョーシャに関連して引用した箇所だが、この太田修司さんの「「越境」と比べて「脱自」は・・」以下を読むと、アリョーシャを描いたドストエフスキーの信仰がどういうものであったか理解できると思われる。

myrtus77.hatenablog.jpゾシマの死後、アリョーシャが庵室を出て表階段を下りたところで大地に伏し大地に接吻するシーンがある。

この場面の後に次のように語るアリョーシャの言葉が出てくる。

 

「だれかがあのとき、僕の魂を訪れたのです」後日、彼は自分の言葉への固い信念をこめて、こう語るのだった・・・

 三日後、彼は修道院を出たが、それは「俗世にしばらく暮すがよい」と命じた亡き長老の言葉にもかなうものであった。(原卓也=訳『カラマーゾフの兄弟』(新潮文庫)より引用)

 

この「訪れただれか」とはキリスト以外には考えられないのであるから・・。そう考えるのは、ドストエフスキーが精読していたと言われる聖書に次のような言葉があるからである。

 

生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。(ガラテヤの信徒への手紙2:20)

 

 

さて、ここで私が書こうとしているのは、日曜日に代読して下さった長老が夫の説教に補って下さった最後の一言についてなのだ。

myrtus77.hatenablog.comそして、神の恵みに与った私達は、伝えられた福音を宣べ伝えていく使命が与えられていると思います。

 

「神の恵みに与った私達は」と語られている。この一言が決定的に大事だと思えた。

私たちは、救われるために信じるのではないのだ。信じたから義とされたのではないのだ。「キリストの信実によって」義とされたのである。

 

そして「キリストの信実によって義とされた」故に、「伝えられた福音を宣べ伝えていく使命が与えられている」のであり、愛して生きる道が開かれているのである。

 

 

生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。(ガラテヤの信徒への手紙2:20 聖書協会共同訳  

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「福音を語り続ける」(マルコによる福音書6:14~29)

「悔い改めを求め福音を語り続ける

 2024年3月3(日) 受難節第3主日

聖書箇所:マルコによる福音書  6章14節~29節

 

 マルコによる福音書6章7節でイエスは弟子たちを派遣しました。弟子たちは信仰的に充分ではありませんでしたが,イエスの言葉に従って出ていくと,主の力ある御業が弟子たちを通してなされていきました。

 弟子たちの働きにより,イエスの名が更に広く知れ渡り、ガリラヤの領主であるヘロデ アンティパスの耳にもイエスのうわさが伝わりました。彼は王ではなく領主でしたが,周りの者に王と呼ばせていたのかもしれません。

 彼の耳に伝わったうわさでは,「人々は言っていた。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ。だから,奇跡を行う力が彼に働いている。」そのほかにも,「彼はエリヤだ」と言う人もいれば,「昔の預言者のような預言者だ」と言う人もいた。」

 イエス神の国の宣教に人々は洗礼者ヨハネの働きと同質のものを感じました。だからヨハネが生き返ったと言う者もいました。

 マラキ3章23~24節にこうあります「見よ,わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。」この預言を知っている者はエリヤがついに遣わされたのだと考えました。

 モーセなどのように神の声を聴く預言者イスラエルを導いた時代を思い浮かべた者は「昔の預言者のような預言者だ」と言ったりもしました。

 ところがヘロデはこれを聞いて、「わたしが首をはねたあのヨハネが、生き返ったのだ」と言いました。彼はヨハネを殺していました。そのことに後ろめたさを感じていました。だから人々のうわさを聞いたとき「わたしが首をはねたあのヨハネが,生き返ったのだ」と考えました。

 聖書はこう記しています「実は,ヘロデは,自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており,そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ,牢につないでいた。」それはヨハネが,「自分の兄弟の妻と結婚することは,律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。」と

 ヘロデ アンティパスの父はヘロデ大王と呼ばれ、イエスが生まれたとき、ベツレヘム近郊の2歳以下の男の子を皆殺しにした人物です。猜疑心が強く,自分の地位にとって危険と思われる者は,親族でも妻でも子どもでも殺しました。ヘロデ大王の死後、ローマ皇帝によってユダヤは三つに分割され、三人の息子に分け与えられました。ここに出てくるヘロデ アンティパスにはガリラヤとペレアが与えられ、ヘロデ アンティパスの最初の妻はアラビアのナバテヤ王国の王女でした。紀元28年頃、ローマを訪問し、当時ローマで暮らしていた異母兄弟のフィリポを訪ねた際にフィリポの妻ヘロディアに心惹かれ恋仲となりました。当時,フィリポは不遇な状況にあったので,ヘロディアはより有望なアンティパスに乗り換えました。そしてアンティパスはナバテヤの王女を離婚し,ヘロディアと一緒になってしまいました。

 これはレビ記18章16節,20章21節に反する行為です。ヨハネはこれを公然と非難しました。ヘロディアヨハネを恨み,彼を殺そうと思っていましたが,できないでいました。聖書にこう記されています「ヘロデが,ヨハネは正しい聖なる人であることを分かっていて,捕らえはしたけれども,彼を恐れ,保護し,また,その教えを聞いて非常に当惑しながらも,なお喜んで耳を傾けていたからでした。ところが,ヘロディアにとって良い機会が訪れた。ヘロデが自分の誕生日の祝いに高官や将校,ガリラヤの有力者などを招いて宴会を催すと,ヘロディアの娘が入って来て踊りをおどり,ヘロデとその客を喜ばせた。」

 『ユダヤ古代誌』を書いたヨセフスによればヘロディアの娘の名前はサロメ。当時,王女が一人で踊るなどということ,とりわけ酒の席で踊るなどということはあり得ませんでした。それをサロメが踊ったため、人々は驚き,喜びました。それは上手な,そして魅惑的な踊りであったのでしょう。聖書はこう続いています。

 「王は少女に「欲しいものがあれば何でも言いなさい。お前にやろう」と言い,更に「お前が願うなら,この国の半分でもやろう」と固く誓ったのである。」彼にはローマ皇帝の統治下にある領土のことで約束できるものは何も有りませんでした。しかし,人々の前で気前のいいところを見せようとしました。

 「少女が座を外して,母親に「何を願いましょうか」と言うと,母親はこの時とばかりに「洗礼者ヨハネの首を」と言った。ヘロディアは自分の野心に水を差し,公然と非難するヨハネを許さなかったのです。

 「早速,少女は大急ぎで王のところに行き,「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆に載せて,いただきとうございます」と願った。王は非常に心を痛めたが,誓ったことではあるし,また客の手前,少女の願いを退けたくなかった。そこで,王は衛兵を遣わし,ヨハネの首を持って来るようにと命じた。衛兵は出て行き,牢の中でヨハネの首をはね,盆に載せて持って来て少女に渡し,少女はそれを母親に渡した。」何という光景でしょう。

 悔い改めることなく,この世に留まり続ける者は,神の言葉の素晴らしさに気づきつつも最後には捨ててしまいます。

 ヘロデ アグリッパも,ヘロディアも,ヨハネの言葉を聞いて悔い改めることをしませんでした。結果,ナバテアの王女と離婚したことにより,ナバテア王と戦うことになり,打ち破られてしまいます。その後,ヘロディアの兄弟アグリッパの讒言によりローマ皇帝カリグラにより現在のフランスのリヨンに追放されてしまいます。キリストの十字架の後およそ10年後のことです。

 罪は滅びにしか導きません。しかし,神は滅びを望んでいません。だから,悔い改めを求め,福音を語り続ける必要が有ります。

 ヨハネが捕らえられると,イエス キリストが語り始められました。キリストの十字架の後には弟子たちが語り始めます。その備えのために弟子たちは派遣されました。

 罪人の救いのために語られる福音は,宣べ伝えられ、手渡され,途絶えることなく語られ続けてきました。

 今、わたしたちに、福音が語られ、手渡されています。悔い改め,神のもとに立ち返り,福音に聴き従うなら,救いの御業が,神の恵みが現れます。

 そして、神の恵みに与った私達は、伝えられた福音を宣べ伝えていく使命が与えられていると思います。

 

最後の一言は、代読して下さった長老が補って下さった。

 

若い頃、牧師になろうとして、牧師に相談したことがある。

私はそれまでに教会を離れたことがあったので、もう神の元から二度と離れたくないと思って、神の傍近くいるには牧師になるのが一番なのではないかと考えたのだった。

 

しかし、牧師から、「牧師になって大勢の人間を牧したり、大勢の人間に向けて語ったりするのではなく、例えば私と一緒に高齢者を訪問するという奉仕はどうか?」というような提案がなされた。

 

私は昔から自分の考えや自分の思いを充分伝えるということが苦手だったので、どうして牧師になろうと考えたのかは話さなかった。

 

しかし、高齢者の話を聞くという務めははっきりお断りした。それでは、ということで、日曜学校の教師の見習いをすることになった。

 

しかし私はこれまで一度も、何か奉仕をしたいとか、用いられたいというようなことは考えたことがない。

 

用いられるというのは、それほど生易しい事柄ではないだろう。用いられるという時、それは自分の意に染まぬ形である場合が多い。キリストの十字架がそうであるように。

しかし、それでも私はこの数年、自分の使命とは何かということを常に考え続けてきた。

 

夫が倒れて、このまま自分も死んでしまいたいと思った。私の場合、生きるのが面倒くさくなるのだ。生きる意欲というようなものと無縁な気がする。

しかし、夫の命が取り留められて、私が先に死ぬわけにいかないだろうと思った。

 

若い頃は、生きる意味を探っていた。しかし今は、生きる使命というものを常に神に問うている。

使命を果たし終えたなら、神は、私を、みもと近く迎えて下さるだろう。

 

 

西洋柊とレンテンローズ、昨年の。

 

 

 

 

 

 

 

今日、三月三日は・・。

沈丁花を入れたところまでは良かったのだが、

桃の枝を上手く入れられなかった。

 

 

 

蕾が可愛い。

石のお雛様と。

 

 

朝、

 

 

 

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 患者さんは、待ってるんです。「○○先生はもう帰られたんでしょうね。だって自動車がありませんから」と悲しい表情で聞いてきます。患者さんは、医者の乗ってる自動車のナンバーを知ってますよ。「ああ、きょうは会いに来てくれなかったんだなぁ」って夕暮れの駐車場を見ています。

 会えないときは無理して会わなくていいんですよ。患者さんは気をつかいますから。医者が病気のときはみんな待ってくれますよ。「外国旅行に出る」とか「休暇に行く」と言っていいんです。人間は休暇をとるものなんだということを知るのは、患者さんにとっては悪いことではありません。サリヴァンが言っているのは、「ちゃんと断りなさい」ということです。(中井久夫=著『こんなとき私はどうしてきたか』(医学書院)より)

 

病気の定期検査で施設から病院に行く母に付き添う日が吹雪だった時は、車を走らせるのが厳しかった。母が入っていた施設は地下鉄の最終駅からも離れていたので車を使うより他はなかった。
雪道が厳しくて「今日は行けそうにない」と電話で告げる私に、母は「無理に来なくていい」と言っていた。無理をして事故でも起こして私に何かあれば、遠く見ず知らずの土地で放り出されることになりかねないのだ。お金の管理から何から全てを私に頼っている身なのである。「施設の支払いは私の年金で間に合っているか」と、しばしば心配して訊いていたものだ。

 

上に引用したのは、主に統合失調症の患者さんにどう接して来られたかを語られた中井久夫先生の言葉。

 

 

 

 

 

 

 

捨てようか、どうしようかと、神学書等の仕分けをしていると・・。

この本の間に

こんなお手紙が挟まれていた。

これは、古書店に出す訳にもいかないな、と思い、読んでいた。

福音に導かれるまでの苦しい思いが綴られている。

 

 

捨てるか古書店に出すか仕分けしていると、付箋のついた古い雑誌が目に入った。

夫は付箋を貼り付ける人だった。

開いてみると、「キリストの信実によって義とされる」(特集=キリストの十字架と復活)という内容だった。1996年4月の『福音と世界』だ。

もう一冊、1995年10月の『福音と世界』も一緒に取り出した。表紙を見ると、「特集=信仰義認論」の中に、同じ方(太田修司さん)の「キリストの信実によって義とされる」が載っている。こちらが「その一」のようだ。

信実な」という訳は、詩篇の説教の中で、月本昭男訳として紹介していた記憶があるが、夫は、もうこんな時から目にしていたんだな、と思う。

 

卒論を信仰義認で書いたようだったが、卒業後もずっとこのことに拘っていたようだ。

 

「キリストの信実」とか、「イエス・キリストの信仰による神の義」という解釈は、主流ではなかったのか?、と思う。

 

この雑誌二冊も、とっておくことにしよう。

 

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