風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子59

かすかなる揺れをみたしし一杯の水あり師の君死にたまひけれ 『薔薇窓』
ミケランジェロ彫りたるヴィンコリ聖堂のモーセとおもふ御(み)顔を拝す

これらの短歌は第四歌集とされる『薔薇窓』の中の「白輪」に収められたものである。
「白輪」の一首目に措かれた前詞から、師である太田水穂の死に際して詠われたものであることが分かる。
「一杯の水」というのは末期の水であろうが、聖書に記された言葉につなげて受け取ることが出来るように思う。

わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。(マタイによる福音書10:42)
はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。(マルコによる福音書9:41)

こういったところからも、妙子はひそかに自分をキリストの弟子として捉えていた、と私は考える。この私に「冷たい水一杯」以上のものを与えてくれた師が報いからもれることは決してない、と信じていたであろう、と。

そして、亡くなった師の顔をモーセの顔と思い、拝すのである。モーセ ー 神の民をエジプトから導き出した人物である。妙子は、自分にとっての師をモーセに喩えたのだ。師は妙子を、いったい何から、どこから導き出したのか?
生まれて、生きて、そして死んでいくという凡庸な日々の生活の中から、歌によって生きるという歌人としての人生へと導き出したのではないだろうか?しかし・・。


『薔薇窓』は第四歌集だが、第八歌集『鷹の井戸』の後に出されたものであることを追記しておかなくてはいけないだろう。
そして、以下の歌が収められているのは『鷹の井戸』の前に出された第七歌集『朱霊』である。

卓上に塩の壺まろく照りゐたりわが手は憩ふ塩のかたはら 『朱霊』
この歌についてはすでに「葛原妙子45」でも言及しているのだが、最近見直していて思ったことがある。

塩というのは、料理には欠かせない。砂糖を使う料理はなくても、塩はほとんどの料理で使うだろう。小豆などを甘く煮る場合でも塩を入れる。塩を入れることで砂糖の甘さがくっきりと際立ってくるものだ。

味のない物は塩がなくて食べられようか。すべりひゆのしるは味があろうか。(ヨブ記6:6)
あなたはこれをもって香、すなわち香料をつくるわざにしたがって薫香を造り、塩を加え、純にして聖なる物としなさい。(出エジプト記30:35)


毎日毎日、日々の食事を用意しながら主婦として生涯を生きた妙子の手が、塩の傍らで憩っているのである。後世に名を残す歌人となった葛原妙子だが、しかし、その歌は、主婦として生きる中から生まれてきたと言えるのではないだろうか。一家の主婦として、家族の中で生きるその喜びや苦悩が歌となって生まれてきたと言えるように思う。

葛原妙子という人は家族と共に生き通した人だったのだ、と改めて捉え直した。否、捉え直させて頂いた、と思った。