風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『いちばん初めにあった海』加納朋子=作(角川文庫)

以前書いた紹介文から

加納朋子=作『いちばん初めにあった海』(角川文庫)

加納朋子は1992年にデビュー作ななつのこで第3回鮎川哲也賞を受賞した推理小説作家です。又、95年には『ガラスの麒麟で第48回日本推理作家協会賞を受賞しています。この『いちばん初めにあった海』もミステリーのジャンルに入ります。一冊の中に表題作と『化石の樹』の二つが入っていて、この二つは全く独立した話でありながら、深いつながりを持つ構成になっています。
この二つの物語の前には、「すべての母なるものへ」という言葉が掲げられています。この二つの物語は母と子の物語と言えるかもしれません。

『いちばん初めにあった海』の主人公、堀井千波は自分が願ったために双子の兄が死んだのだという罪の意識を持っていました。病弱で母親の愛情を独り占めにしている千尋。ー「千尋なんかいなくなってしまえばいい」
千波はある事件がきっかけで記憶をなくします。人は自分を崩壊させるほどの衝撃から身を守るために記憶を消すということがあるのだと思わされます。その千波を救い出したのは高校時代の友人、麻子でした。この物語は二人の女性の友情の物語でもあります。
麻子は幼いころ母親から虐待を受けていました。麻子は保育園の時その母を殺したのだといいます。麻子は本当に母親を殺したのだろうか。『化石の樹』で、その謎が解き明かされていきます。

母親になるというのはどういうことでしょうか。娘が幼い頃、私も愛しきれない自分自身に苦しんだ覚えがあります。娘を育てながら、愛しきれない自分を許してくれるようにと、心の中で謝らずにはおれない母親だったように思います。
精神科医キリスト者でもある赤星進氏「人間は不完全で、どんな立派な親でも不完全で、完全な育児というものはありえません。・・人間の自我の希求する母子一体感、すなわち基本的信頼の体験のイメージは、現実においては常に幻想に終る運命をはじめからもっているといわねばならない」(『心の病気と福音』(ヨルダン社))と言っています。
親というのは身近にいて一番子どもを助けることが出来る存在でありながら、生涯にわたる傷を負わせうる存在でもあるのだと思うのです。大人になるということは、そんな親の弱さと不完全を理解し受け止めるということではないだろうかと思います。そうして、自分の人生を自分の手に取り戻して生きていって欲しいと私は娘に願っています。

加納朋子『化石の樹』の中で、虐待しながらも自分なりに娘の幸せを願っていた若く幼い母親を描き出しています。加納朋子のこの深い人間洞察が、ミステリー小説を真実な物語へと高めている、と思うのです。ミステリーを読み始めた中、高校生に手渡したい一冊です。