風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

牧会のための覚書2(岡田尊司=著『パーソナリティ障害』から)

 現在、境界性パーソナリティ障害は、ずっと狭い意味で定義されているが、かつての名残は、今もすっかりなくなったわけではなく、「境界性(ボーダーライン)」と診断されているパーソナリティ障害には、他のタイプのパーソナリティ障害が含まれていることもよくある。治療者によっては、対処が困難なパーソナリティ障害を、何でもかんでも、「境界性」と診断するような乱用もあり、さらに混乱を深めている。

 専門家でさえ、そういう状況である。

 

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接し方のコツ

変わらないことが最大の支え

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 よくある最悪のパターンは、最初のうちは、本人の話を長時間かけて熱心に聞き、困ったことがあれば自分が力になるというようなことをいい、一気に盛り上がってしまうのだが、本人が次第に依存的になって、どんどん関係や助けを求めてくるため、すっかり疲れてしまい、途中で投げ出してしまったり、突き放してしまうというものである。

 実際、こういうパターンは、しばしば起こる。この障害の性質を知らない友人や家族は無論のこと、プロフェッショナルであるはずのセラピストや精神科医でも、こうした失敗を犯すことがある。

 そこで一番傷つくのは、境界性パーソナリティ障害を持つ本人であり、人は結局、最後には自分を見捨てるのだという不幸な人間観を強化してしまうことになる。それは、この障害を克服するのとは、全く逆方向なのである。

 境界性パーソナリティ障害の人の場合、長く変わらない気持ちで、接し続ける人がいたということを身をもって体験すること、それが何よりもの援助となるのだ。熱心に関わる前に、この関わりを五年、十年続けられるかを、自分の心に問う必要がある。安易な親切や同情や自己満足で、接してしまうと、結局本人を傷つける結果に終わる。

 実際、境界性パーソナリティ障害がよくなったケースを振り返ると、身近に、変わることなく接し続けてくれた人がいる。「調子よく」本人に合わせたり、おろおろするのではなく、冷静な目で、気長に見守る存在が重要に思える。

 

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大事なことは、優しさや愛情にも限りがあるということだ。限りなく援助をすることは不可能だし、そのことは、本人をかえってダメにしてしまう。

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 したがって、境界性パーソナリティ障害の接し方では、常に限界設定ということが重要になる。ここまではできるがこれ以上はできないと、はっきり告げることが大切だし、結果的に親切になる。岡田尊司=著『パーソナリティ障害』「境界性パーソナリティ障害」より)

 

 

myrtus77.hatenablog.com

精神科医キリスト者でもある赤星進氏人間は不完全で、どんな立派な親でも不完全で、完全な育児というものはありえません。・・人間の自我の希求する母子一体感、すなわち基本的信頼の体験のイメージは、現実においては常に幻想に終る運命をはじめからもっているといわねばならない」(『心の病気と福音』(ヨルダン社))と言っています。

 

 

myrtus77.hatenablog.comどんな中にあっても人生を支え得る信仰というのは、どういうものだろうかと改めて考える。

 

 

myrtus77.hatenablog.com病む人の心の悲鳴響かせて非通知電話鳴る午前4時

睡眠は確保しなくてはいけないから、夜間の電話は鳴らないように設定するということはある。

 

限界を持つ私たちにはキリストの後に従うことは容易ではない。しかし…