以下、昔書いた子どもの本の紹介文から『マッチ売りの少女』について
クリスマスというと「マッチ売りの少女」を思い浮かべると言った友人がいます。
昨年のクリスマスに「マッチ売りの少女」を手話で表現してみました。その時は図書館から色々な訳のものを借りてきて読んだのですが,そこで初めて分かったことがありました。「マッチ売りの少女」というのはクリスマス・イヴのお話だとばかり思い込んでいましたが,そうではなかったのです。マッチ売りの少女は大みそかの夜に神様のもとに召されたのでした。そして,借りてきたどの本にも「新しい年の光に包まれて少女は新年の喜びを迎えた」というような訳がなされていました。
アンデルセンは貧しくて無学だった故か,あまりに素朴すぎたせいか,その信仰は異端視されていたとか自殺願望があったとまで言われていたようですが,私には,アンデルセンは「マッチ売りの少女」をヨハネ黙示録21章の御言葉をはっきりと頭に置いて描いたと思われてなりません。
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。
神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、
神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。
もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。
先のものが、すでに過ぎ去ったからである
手話で表現するにはあまり長すぎては覚えられないと思い,ここは削れないと思う所を考えて自分なりに文章を構成したのですが,それでもお話の持つ力に練習を繰り返しながら圧倒されていました。
その後,松居直氏の念願だったアンデルセン童話集が1992年に福音館から出ている事を知って購入しましたが,松居氏の熱い思いと訳者大塚勇三氏の深いアンデルセン理解とが,この童話集をすばらしいものにしているという気がします。
アンデルセンという人は,人々の目には不幸としか見えない事柄の先に希望の光を見い出していた人なのだと思います。
12月というこの時,日本では一年で一番日が短くなります。けれど,この暗さのただ中にキリストが来られた事を思う時,アンデルセンの描いた「マッチ売りの少女」は,やはりクリスマスにふさわしい物語なのだと思わずにはおれません。