ヨハネによる福音書の1章14節は、口語訳では「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った」と訳されている。新共同訳では、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」である。新しく出る共同訳聖書でも、「肉」のままのようだ。
岩波訳は「ことばは肉(なる人)となって、われわれの間に幕屋を張った」。おそらく、「肉」という訳が原文に近いのだろうということだ。
しかし、「肉体」ならまだしも「肉」となると、私などはお肉屋の陳列を思い浮かべてしまう。
フランシスコ会訳では「み言葉は人間となり、われわれの間に住むようになった」だった。
これはまたこれで、「言葉」に「み」をつけておきながら、「われわれの間に住むようになった」だなんて、まるで「勝手に来て住むようになった」みたいな言い方で、なんかだなぁ、と思うし・・。
さて、新改訳では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」となっていて、昨年出た新しい訳でも変わっていないようだ。この訳がもっともしっくり来るように思われる。「神であられる方が人となって、私たちの罪の世に住まって下さったのだ」と。
原文に忠実ならいいってもんじゃないよ!と言いたくなる。
あぁ、今年ももう少しで、イエス様が人となって来て下さったクリスマスを迎える。
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」(ヨハネによる福音書1:14)(新改訳聖書)
彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。(ネヘミヤ記8:8 新共同訳)
王の御旗は先だちゆき、
十字架の秘義は輝いている、
そこでは、肉の造り主が肉において
死刑台にかかっている。
ヨセフ・L・ロマドカ(『昨日と明日の間の神学』より)
「肉」という言葉も遣う人によって格好良く聞こえるものだなぁと思う。平田正夫先生の訳がかっこいいのかも知れないけど。