瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で
君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ(「まちがいさがし」より)
これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 恐れるままに花の名前を
君じゃなきゃ駄目だと(「馬と鹿」より)
触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い
今だんだん恋になっていく ときめいていく
思いがけぬ とんだランデブー(略)
触れていたい 揺れていたい 君じゃないといけない この惑い
「愛する」という場合には「選び」が伴うのだと思う。
それは、米津玄師の歌の歌詞に頻繁に出てくるように、「君じゃないといけない」ということだからだ。
それは、取り替え不可能ということであり、掛け替えのない相手ということだからだ。
この人が駄目でもこっちがあるというのとは違う。
自分を好きになってくれる人を選ぶというのとも違っている。
何人もの人を並べて「どれにしようかな?」と選ぶのとも違うのだ。
そしてこの人とも、この人とも、というのとは大きく違っている。
しかし、神様だけは、この人とも、この人とも共に生きていきたい、共に生きていこうとなさる(笑)。そしてそれがお出来になる(笑)。