昨日は、○○○○○先生によって、パンとぶどうジュースにあずかることが出来ました。
聖餐(せいさん)の前に、○○先生はコリントの「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は」という点について話されました。
聖餐は権利ではありません。恵みです。(略)
私たちは、聖餐にあずかれない病人のところにまで行って聖餐を行う。そこまでして聖餐を受けさせようとするのは何故か?それは聖餐が恵みだからです。
もう一度いいます。聖餐は権利ではなく、恵みです。
とても良かったです。泣けました。
あなたもまた聖餐を受けることが出来るようになる、と希望が持てました。
夫は、毎週でも聖餐を行いたい人だった(笑)。
けれど、そうはならず、どこでも月一回行うという形だった。
しかし、聖餐が行われない礼拝でも、聖餐台の上に聖餐のセットを常に置くようにしていたと記憶している。
以前、教会員からこのコリントの部分の質問を受けたことがある。その時に夫がどう答えたかを載せた『聴く』を以下に再掲する。
この時はそのようにしたのだが、しかし私は、3歳になったら止めるという必要もないのではないかと考えている。
イエスが五千人の人々にパンを分け与えられた時に、「彼らの望むだけ分け与えられた」(ヨハネによる福音書6:11)と聖書が記しているように、子ども達が望むだけ陪餐の真似事をすれば良いのではないかと本当は思っている。