風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

枯れていきながら香り立つ

「薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、・・」(マタイによる福音書23:23)


牧師不在の祈り会を家庭礼拝暦を用いて進めた。

一通り読んで、「何かありますか?」と尋ねると、最年長の長老が「茴香というのは何ですか?」と訊かれたので、私の知るところをお話した。

ハーブ、香りのする草だということ。「薄荷」というのはミント、ペパーミントなどのことで、いのんども茴香もセリ科の植物なので、日本であれば、紫蘇(薄荷はシソ科)と芹を献げなさいということになるでしょうか?と。
「香りがするんですね?」というので、「今、百合が咲いていますが、花が咲いて香りを放つというのでなくて、葉っぱをちぎったり、触ったりすると薫るという感じです」とお答えした。

新共同訳で読んだので、長年親しんでいる口語訳ではどうなっているだろうと、口語訳聖書を開くと、「はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納めて…」となっている。「クミンになっていますね。でもクミンと茴香は別物です」と、クミンについての薀蓄をしばし傾けた。

後で、廣部千恵子=著『新聖書植物図鑑』(教文館の「クミン」のところを見ると、「マタイ23:23に記されている『薄荷、いのんど、茴香』の『茴香』のギリシャ語は『キュミノン』でクミンを表している」「蛇足になるかもしれないが、ウイキョウ茴香)Foeniculum vulgare はクミンとは別の植物であるがイスラエルにも現在たくさん自生している。(略)古代エジプトで栽培されていたので、聖書には記載がないが、聖書時代の香料のひとつとして考えられる」と記されていた。

分からないことが分かると想像の助けになるとは思う。けれど、ここの聖書の全体の記述は以下のような内容なので、あまり茴香やいのんどのことに話が向きすぎると、御言葉の中心的なところを聴き逃しかねない。

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。(マタイによる福音書23:23)


しかし、私はしつこい人間なので、終わってからも色々調べてしまった。

茴香(orクミン)やいのんどの名が出て来るのは、旧約ではイザヤ書くらいのようである。ここで、イエス「薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、…」と言っておられるのは、レビ記27章に記された十分の一の献げ物のことのようだ。

土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す。(レビ記27:30)

レビ記2章に記された穀物の献げ物も、家畜の献げ物と同様に、焼いて香りを献げるものである。

祭司はこの穀物の献げ物から一部を取り分け、しるしとして祭壇で燃やして煙にする。これが燃やして主にささげる宥めの香りである。(レビ記2:9 新共同訳)
(そう言えば、いのんど=ディルの語源は「宥める」という「Dilla」(『広田靚子のハーブブック』)だった。この場合は赤ん坊を宥めて寝かしつけるということのようだが・・。)

その素祭のうちから記念の分を取って、祭壇の上で焼かなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである。(レビ記2:9 口語訳)

献げ物として大事なのは「香り」であるように思える。そういったところから考えても、「薄荷、いのんど、茴香が香草(ハーブ)であるということは重要な点だと思われる。

新共同訳では「薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げる」、口語訳聖書では「はっか、いのんど、クミンなどの薬味の十分の一を宮に納め」るとなっていて、焼くものなのかどうかは良く分からない。けれど、ハーブ類は枯れるほどに良い香りを放つので、「宮に納め」て、枯れていく時の経過の中で香りが神に献げられると考えることも出来るかもしれない。

こんな勝手な想像をして、私はひどく幸せな思いに満たされた。
牧師館の庭に生え出た紫蘇の一叢を抜き取って、庭の片隅に置いて枯らしたことがあった。秋も深まり冬を迎える頃、紫蘇の葉の上に立つと、良い香りが匂い立った。
枯れていきながら香り立つ。そしてそれが神への献げ物となるのである。
私もそのようになりたい。


これは、いのんど(ディル)。
放射状に伸びて、伸びた先でもまた放射状になって、その先に花がつく。これはまだ蕾だと思う。
茴香フェンネル)も同じような状態で花が咲く。そして花の色も同じ黄色である。ただ、丈だけが大きく違う。茴香フェンネル)は人の背丈ほども伸びる。
フローレンス・フェンネルでは株元が肥大して野菜として食べることが出来る。昔々このフェンネルを栽培してリゾットにして食べたことがある。
この写真のいのんど(ディル)は、ちょうど今、家の庭で花を咲かそうとしていたところだった。