風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

今井恵子歌集『渇水期』より「芭蕉布」他

     久高島

カベールは神の降り立つところにてここよと指しぬ島の男は
戦場に父の死なざりし偶然より生まれ来たりてわれがもの言う
風葬の島の断崖あおられて澄みとおるまで木々の屈曲
何もないことが背筋を滑りゆくまばたきの間(ま)を岩に向き合う
見上げては写真に撮らん大いなるアダンの木の実の深き沈黙


     沖縄アブチラガマにて

振り向けばわが立つ位置もなきごとし闇は光のあらざるをいう
水滴の落ちる範囲に空洞のあるらし何を踏んでいるのか
ぬばたまの闇より足を引き抜いて闇へ差し込み前へと進む
恐怖とは何をいうのかわからなくなりたるころに出口のひかり
五十年まったき闇を知らざりき停電の夜も眠れるときも



     芭蕉布

ヤンバルの山の裾野の糸芭蕉ゆらりゆうらり光を溜めて
集落に細き道ありその道の奥に芭蕉布工房しずか
〈機結び〉はるか昔にははそはの母の言いしか縁側に座し
炊飯の育児の野良の手仕事の間に織りけん一反の布

   芭蕉布平良敏子によって復興された
工房は機の音のみひびきおりときおり窓に風のおこりて

「撮影は止めてください」頑なと思ほゆるまで工房に澄む
一本の糸をひからせ杼(ひ)は走るみっしり重き沈黙の中
うつむいて黙してそして剛かりき女が布を織るということ
工房にチャイム流れて表情の弛めば低く声を掛け合う

   若い女は化粧をしていなかった
私ラハ織ルダケデスと手を休め何とやわらかく笑うのだろう

工房の外は日照雨(そばえ)が通り過ぎフロントガラスを濡らしてゆきぬ
言葉より布より重き塊に触れしと思う大宜味村喜如嘉にて
カーラジオ短く予報を伝えたり今年の夏は水不足とぞ

       

物言わず織り継ぎ母は娘へと「眠りが夢をもたらすように」
織女星あおげばふっと思われて物を語れるはじめのはじめ



     喜屋武岬

南へとハンドル切って喜屋武(きやん)岬ほそき一本の道尽きるまで
絡みあう屈曲の幹に繁りおりアダンの暗き緑の色は
巨きなる岩の上にて竿を振り人動く見ゆ 海を見下ろす
釣り糸は光り虚しく投げられぬ水平線までまったき青さ
無理をしてわかろうとするのは不自然で積乱雲のような観念
しばらくは黙っていたい透明な時間に海は輝いている
ここに立ちいし人の姿がふっと消え 何を歴史というのだろうか
岬にはいつでも風が吹いていて人が黙って海を見ている