風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

今井恵子さんの「二つの林檎」(歌集『渇水期』から)


十二月二十八日午後二時のひかりのなかに二つの林檎 今井恵子『渇水期』

この歌を砂子屋書房の『一首鑑賞 日々のクオリア』で目にした時、過去からの光がこちらに向かって射して来たような気がした。


この短歌を、昨年12月に葛原妙子の「卓上に塩の壺まろく照りゐたりわが手は憩ふ塩のかたはら」と共にブログに掲載させていただいたのだが、選択を間違っていたと今になって思う。
葛原妙子のこの歌に、「わが手は憩ふ塩のかたはら」はなくてはならない一節だが、この一節があるために今井さんの歌と比べて語りすぎているように思われる。今井恵子さんの「二つの林檎」に対比させて選ぶなら以下の一首が良かったかも知れない。

昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつをり 葛原妙子『朱霊』
こんな風に考えていたら、砂糖や粉の歌が『渇水期』の中にもあった。

白砂糖計量スプーンにはかりては白きけむりの中へと落とす 今井恵子『渇水期』


歌集『渇水期』は2005年の出版である。福島原発事故のずっと前、事故とは何も関連がない。

「二つの林檎」の歌は、日常の何気ない情景を写し撮った感じの歌である。

それが、原発事故を経た私の胸に言葉にならない思いを引き起こす。

2011年以前、福島からの林檎が、私の食卓の光の中にも、あった。

私たちは多くのものを失った。