風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

今井恵子歌集『渇水期』(砂子屋書房)ー 紹介第一弾

今井恵子さんの『渇水期』は、私にはどの一首も良くて、読んでいると心が穏やかになってくる。
だけど、そんなことを言っていたらきりがないので、選りに選って極力少なめに紹介してみたいと思う。


    家族の声

はるかなる記憶に青く揺れている水あるごとし油蟬啼く
後悔をひとつせしゆえ毛糸玉ぽーんと投げて闇にそのまま

  
    頰紅

2002年荒川の土手みずからの息する聞こゆ自転車をこぐ
雨降れば雨に濡れつつ葉の陰に椿の蕾まだまだ固い
首筋に風がひんやりさわる街だれも愛さず幼年期あり
芸術は認められたら終わりだと娘の言うにたじろぐばかり

  
    その中

寝返りを打ちて光の揺らぐ間(ま)や夢の中にて睡蓮ひらく

  
    ペンギンの胸

「とはいえ」が繰り返されて僅かずつずらしゆきたり論者は位置を
湯豆腐の白をすくいてペンギンの胸膨らむに似てると思う

  
    土手の高さ

曼珠沙華さきたつ土手の夕日光(ひかげ)ほうれほうほうここは地の果て

  
    階段十首

手をかざし仰げば空に階段のあるがごとくに教会の鐘

  
    クリップの銀

水仙の黄色をしずかに圧しにけり硝子を抜けて朝の光は
こんなふうに泣きたかったと泣いている秩父連山まだ冬景色
立ち上がるときに拾いしクリップの銀の光は朝よりそこに
母の杖ゆかに倒れてそのままに母の眠りの奥の若草

  
    造花

透明の容器ときおり軋ませて後部座席の春の卵は

  
    帽子十首

麦畑 集団下校の一列の黄色の帽子 ひとつ遅れて
皇后さまの帽子のようね冠らせて手を引かれ行く母を見送る
木陰にて学帽を手指にもてあそび清潔なりき同級生は
決定を先に延ばしているうちに黒き帽子は遠くへ去りぬ
亡き父の残せし帽子は小さくてわれら家族の誰も冠れず

  
    航跡

「おばあちゃんは楽でいいねえ」「アコちゃんは動けていいねえ」日曜の午後

  
    渇水

水面は低く汚れてひりひりと渇水期あり贅肉おとす
おしゃべりに厭きて海へとひらく窓たった一人の人が必要
限りなく善意にちかき心根の心地よからぬ白き地下茎
学校に叱声満ちていたりけり戦後的なる明るさの中


それから、次のような短歌も拝見して嬉しくなる。そしてしみじみする。

テメエとかフザケルナとかの応酬に夫婦喧嘩を繰り返し来し
ダッテと言いデモと受けたる合間にて朝のトースト焼きあがりたり



「だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、あの花を愛するってことが、わからなかったんだ」(サン=テグジュペリ星の王子さま』より)