何によって行動しているのか?
● ルカによる福音書16章1~13節からの説教 「聖書の言葉を聴きながら」
10節に「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」とあります。小さいことに不忠実であるというのは、つまり、日々の小さな出来事を、神の御心とは違うこの世的なやり方でやってしまうことです。そういう人は、大事な大きなことでも、神の御心を求めるのではなく、この世的なやり方をしてしまう。小さいことにも、神の御心に従って、神に喜ばれ、神を友とするためになしていく。使徒パウロは、 「飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(1コリント 10:31)と言いました。わたしたちの全生活、日々の生活、それが主の御心にかなってなされていくように、「御心にかなう業をなさせてください」と祈りつつ、そして、主の日ごとに神の言葉を聞きつつ、仕えていくのです。
(略)
13節には「あなたたちは、神と富とに兼ね仕えることはできない」という言葉が出てきます。富は神が与えてくださるものであって、神の栄光を表すために用いていくものです。決して富が主人ではないのです。真の主人こそ、真の富・永遠の命を与えてくださるお方です。イエスは、弟子たち、そしてわたしたちが、真の富・永遠の命を得ることができるようにと、この話をしてくださったのです。
わたしたちに与えられた生きる基準は、神に喜ばれ、祝福されることです。(略)
罪の世にあってわたしたちの目は、効果があったか、成果が上がったか、そういうことを考えます。けれども、そうではなく、神がそれを祝し喜んでくださる、受け入れてくださることが大事なのです。小さき罪ある僕のなしたことを用いて、神が御業をなしてくださいます。救いが起こるのです。それを信じて、生きていけるように、イエスはお語りくださったのです。(説教「不正な管理人のたとえ」より抜粋引用)
人の歓心を買おうとしているのか?
それとも、お金を頼りとしているのか?
冨に仕えようとしているのか?
それとも神に仕えようとしているのか?
神に仕えるとはどうすることか?神に、御心を聴かなくてはならない!
スキッパーたちの耳が大きいのは、…。「聞く」っていうことは「受け止める」ってことの代表だとも思っていて、…。(抜粋引用)
— メロメロピー (@syodainekosuke) 2018年2月12日
シリーズ20周年記念!!「こそあどの森の物語」シリーズ岡田淳さんインタビュー(2/3) | 絵本ナビ https://t.co/JxOd4xZWHr @EhonNaviさんから
耳の大きな存在というのは「聞く」ことが生きていくうえでとても重要になります。ウサギも耳で聞いて 身を守る。スキッパーたちの耳が大きいのは、戦いとは対極にいる存在という思いがぼくの中にあって、だから耳は大きくなければいけないんです。「聞く」っ ていうことは「受け止める」ってことの代表だとも思っていて、そういう平和主義をイメージしているんです。(抜粋引用)
岡田淳さんって優しい人だろうなぁ、と以前からずっと思っていたのだけれど、本当に優しい人だと思う。(ミルトス)