風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『かもめの日』黒川創=作(新潮社)

「…わかると思う」
 大柄な彼は答える。
 そうは言ったものの、結局、他人の悲しみについて、本当のことは、きっとわからない。ヒデと呼ばれる肥った青年は、そうも思う。恐怖についても、そうだろう。
 それを悲しみながら、シュガーペーストがたっぷり塗りつけられたデニッシュ、焼きたてのチーズマフィン、どっしりと甘いブラウニーを彼は食べる。飲み物は、アイス・カフェモカ。そうやって、さらにまた肥っていく。
(略)
 わかる気がする。
 それが、ヒデと呼ばれる肥った青年の率直な感想だった。
 腹が減れば、カップ麺やコンビニ弁当を食べてきた。ずっとそうしてきたように、彼らはこのときも、腹が減れば何かを無造作に食うようにして、ただたまたまそのようなことをしたのに違いなかった。
(略)
あのとき、自分にも隙があっただろうって言われれば、たしかにその通りなんだけど。》
 絵理からの携帯メールを読みながら、彼は腹を立てていた。「・・・たしかにその通り」。だが、それだけではないだろう。なのに、どうして、おそらく繰り返し繰り返し自問して、そんなふうに答えてしまうか。
(略)
 男たちが、どうしてそんなことをやったか、自分には、わかる、と彼は思う。本能のうごめきの触角は、素早く誰の「隙」でも見つけたろう。いったいどんな手だてが、それを防げたというのか。

(中略)

「どいつも、こいつも」いきなり、その女の人は、大きな声で言い、ごろんと草の上に仰向いて寝ころぶ。両手を頭の下に組み、青い空を見上げている。豊かな長い髪が、風になびき、幾筋か、形のいい唇にかかる。その動きを、じっと見た。「根性ないやつばっかりで。泣けてきちゃう、こっちが」
 そう言って、女の人は目をつむる。そして、むせるように、こほん、こほん、と泣きはじめる。息をのみ、その様子をうかがった。
(略)
「ほんと言うと、あんまり覚えていないんだよね。そういうときって、けっこう、わたし、酔っぱらっちゃってたもんだから」
「そうなのか・・・」
「だけど、そうなったっていいや。って思ってるところが、やっぱり自分にあったわけだから」
「うん」
 彼女から目を離し、川の流れに目を向ける。同じ景色を二人で見ていることが、うれしかった。
                  (黒川創=作『かもめの日』(新潮社)より抜粋引用)
輪姦された少女と、同僚とそういう関係になった女性とどちらが深く傷ついたか、一般的客観的には比べるまでもなく、輪姦された少女の方だと答えるかも知れない。しかし私は、黒川創氏は、この二人を同等に描いていると感じる。だからこそ、少女の心の声で「同じ景色を二人で見ていることが、うれしかった。」と語らせているのだ。
もしかしたら、どこにも訴えていくことのできなかった女性の方が深く苦しんでいたとも言えるかも知れない。夫を裏切ることになってしまった自分を責めつづけていたかも知れない。
「どいつも、こいつも」という言葉には、自分の周りから男なんていなくなればいいという思いが表れているようにも思える。そして逆に、自らそういう世界へと旅立ったのかも知れない。