風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「ラーハム」とは「胎児をかわいがるように子宮から広がる思いやり」ー詩編119編156節から聴く

祈り会では、長い詩編119編から聴いていた。

 

主よ、あなたの憐れみは豊かです。あなたの裁きによって命を得させてください。(詩編119:156)

 

「慈しみ」や「憐れみ」を表す言葉で良く聞くのは「ヘセド」という言葉だが、156節の「主よ、あなたの憐れみは豊かです」の「憐れみ」は、「ラーハム」というヘブライ語で、辞書には「胎児をかわいがるように子宮から広がる思いやり」と記されていたそうだ。

聖書では、神の愛を表すものとして「母の愛」を思わせる表現を見かけるが、元々の言葉にこういった説明がなされているものがあるというのが面白いと思った。

「だから私は、神を『父』とするのはおかしいと思う」というような主張をするためにこれを書いているのではない。

神が三位一体の神であれば、母性的な質が神の中にあっても何ら不思議でないどころか、あって当然だろうとさえ思ってきた。それがこういう形で示された、と思った次第なのだ。

 

ダニエル書の「憐れみと赦しは主である神のもの」(9:9)の「憐れみ」と訳された言葉も、この「ラーハム」のようだ。

 

本当に、言葉が分かると楽しいだろうなぁ、と思う。