風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

マルクス共産主義


 胸を張れるように!
僕も含めた支持政党なしの人も、台風の雨風に負けず投票に行こう!
そして「自分の意志で!」投票しよう!
一生に一度
「あの時自分はまともな行動をした」と胸を張れるように!(『へんてこ日記』さんより抜粋引用)

党員が持って来たチラシを見て共産党のこんな取り組みを知った。共産党脱原発なのはいいけど巨大ソーラーを推進しているんだと思い込んでいて、そこはちょっとだなと思っていたのだけれど、そうではなさそうだと知って安心した。

マルクスの思想については詳しくは知らない。何も読んだこともない。若き日に民青同盟からの勧誘を受けた際に学んだが、その時すでに私はキリスト教徒であって、その後もマルクス主義を生きては来なかった。だから、マルクス主義について詳しい内容は知らない。ここで書こうとしているのは、伝記の一冊から、かねがね私自身が考えていたマルクス像を強められた形で展開するマルクス共産主義についてである。

マルクスの父、また祖父はユダヤ教の律法学者であったと伝記には記されている(小牧治=著『マルクス清水書院。けれどマルクス誕生の前後で父はユダヤ教からプロテスタントに改宗したという。後に、マルクスキリスト教を含む宗教全般を批判する形で思想を展開していくことになるが、聖書からの影響を免れることはなかったろう、と私は思う。

あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸す時は、これに対して金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない。(出エジプト記22:25)

あなたはその人から利子も利息も取ってはならない。あなたの神を畏れ、同胞があなたと共に生きられるようにしなさい。(レビ記25:36)

畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい。わたしはあなたたちの神、主である。(レビ記23:22)

畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される。(申命記24:19)

ユダヤ教の律法学者であれば、こういった聖書の言葉は全て覚えられていただろう。キリスト教徒にとっても旧約も聖書に変わりないから、改宗したとしてもこれら旧約の言葉が破棄されるわけでない。だから、幼少の頃のマルクスにとって聖書はもっとも身近な書物であったに違いない。
こうして、「共に生きる」という思想は幼少の頃からマルクスの中に植え付けられたものだった、と私は思うのである。
しかし私は、マルクスの中に一つの欠けを見る。それは人間の感情というものへの洞察の無さである。

ナオミは嫁ルツに答えた。「わたしの娘よ、すばらしいことです。あそこで働く女たちと一緒に畑に行けるとは。よその畑で、だれかからひどい目に遭わされることもないし。」(ルツ記2:22)
ルツ記などを読んでいても、共に生きるために神から与えられた戒めを守りたがらない人間の姿が垣間見えるが、マルクスは、この人間の感情を見ずして思想を展開していったのではないかと思う。
これには、マルクスの恵まれた環境が影響しているだろう。成人してからのマルクスは終始貧しさの中で困窮して生きたようであるが、周囲の人々には恵まれていたのではないかと思う。両親はマルクスの成人前後で亡くなっているが、愛情を注がれるという点では恵まれていたのではないかと想像する。そして、妻や子にも恵まれたと言えるのではないだろうか。だからこそ、そこにマルクスの欠けが生じたと私は思う。

おそらくマルクスという人は、自分の罪というものを自覚しないまま終わったのではないだろうか、と思えるのである。人間的な妬みや嫉み、狡猾などを見なかったからこそ、この思想を展開することが出来たのではないか、と。そこがマルクスの思想の弱みだろう。

しかし私たちは、人間の妬みや嫉みを知った上で、それでも、共に生きる社会を希求したいと思う。


以下(↓)のことはきっちり抑えておかなくてはいけないと思う。前政権のやってきたことは前政権で完結しているわけではないということを。原発事故が起きたのは民主党政権の時だったが、原発自体は自民党政権下での国家政策として押し進められてきたのである。