風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

それでも、信じる

国家間の争いの犠牲となることと金の亡者となった者達の犠牲となることとの違いはあっても、神の沈黙の中で死んでいく者達がいることへの納得の出来無さというものは、旧約の昔から今に至るまで私達の心の中に巣くっている、と言える。

いつまで、主よ
  わたしを忘れておられるのか。
いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い
日々の嘆きが心を去らないのか。
いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え
わたしの目に光を与えてください
死の眠りに就くことのないように
敵が勝ったと思うことのないように
わたしを苦しめる者が
  動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び躍り
主に向かって歌います
「主はわたしに報いてくださった」と。(詩編13編)


シリアは世界の大きなふたつの勢力によって利用されているようだ。私達が一方を激しく非難すれば、もう一方がアレッポの人々の犠牲によって勢力を伸ばすことになるというような構図が背後にあるのかも知れない。