風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

喜田川信『説教による旧約思想入門』(教文館)


夫の入院中の礼拝で長老によって読み上げられた喜田川信『説教による旧約思想入門』から「光と闇の主」(創世記1:3~5から)の説教を写真で掲載する。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。(創世記1:3~5)

 さて、光とは何でしょうか。昔の人は物理的な暗闇と人間の世界の悪、禍、罪、死といった暗闇とをそんなに区別しませんでした。昔の人にとって夜の闇は文字通り恐ろしいものだったのです。ここで注意すべきことは、三−五節で神が創られたとあるのはただ光だけなのです。そしてこれをよしと言われています。そして次に光と闇を分けられたとあります。つまり神は闇を創造されたのでも、これをよしと言われたのでもありません。ただ光と闇を分けられたのです。このことは非常に大切です。それはここではあくまで光が優先し、優位を保っているということです。ただ、この世には闇、悪、禍、死などがあることを否定することはできません。そして光、救い、生命と闇、悪、死が同居しています。昔のユダヤ人もなぜこの世にそうしたものがあるのだろうか、神がいらっしゃるのに、なぜそうした矛盾がこの世にあるのだろうかと悩み苦しんだに違いありません。