風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

親切とお世話


● 『政経よもやま話とミニ読書感想:自民党ひとり良識派』と『BABYMETAL@東京ドーム』、それに『0923再稼働反対!首相官邸前抗議』
ということで、今週も官邸前へ
今日の東京も1日中 雨だったのですが、抗議が始まると雨は奇跡的に?止みました。今日の参加者は750人です。
政府はもんじゅの継続は諦めたようですが(やりたきゃ敦賀市のカネでやれって)、経産省は福島の廃炉費用を電力料金に載せようとしているようです。東京新聞:原発電力の購入拒否でも 全原発廃炉費用は国民負担:経済(TOKYO Web)
廃炉や賠償の費用が膨らむ一方だから、ということですが、何とも理不尽な話です。原発の費用が安い、と言っていた連中はこれをどう言い訳するんでしょうか。
(中略)
経産省廃炉費用を上乗せしようとしている新電力に、仮にアメリカ資本の会社があったらどうでしょうか。絶対通りませんよね(笑)。もしこれがTPPの対象だったら、まさにISDS条項で訴えられますよ(笑)。残念ながら日本はまだまだ資本主義や自由主義が根付いていない。(抜粋引用)

● オリベッティーのタイプライター
オリベッティーは、ヨーロッパで長い間自転車競技を支え、
小さな町の子供たちのレースから、
ツールドフランスやジロデイタリアなど、トップ選手たちを支えてきた。
ヨーロッパには100年以上前から「メセナ」という考え方があって、
「企業は利益の1%を社会還元する」という文化が根付いてる。
オリベッティーはイタリアの会社だが、そんな企業ポリシーが活きてる会社だ。(抜粋引用)

少し前に三井修さんが、『親切な郷愁』という歌集の中から短歌を紹介しておられた(『一首鑑賞 日々のクオリアで)。『親切な郷愁』というタイトルに興味を感じて、タイトルを詠み込んだ短歌はどういうのだろうと思った。

「親切」とか「お世話」というのは難しいもので、時として「余計な」という形容がついてしまう場合がある。「お節介」になってしまうのだ。
お節介になるかならないかは、相手が本当に必要としているものを、相手以上に理解しているかどうかにかかっていると思う。
「優しい人」等という周りからの自分への評価を求めるあまり、余計な手出しをしてしまうのだ。相手のことを思うからこそ、手を出さないで静かに見守るという場合がある。

さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。(使徒行伝3:1~6)