風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ぷわ〜んと黄色い西日につながる光景ー春夕べ

● 第885回 居場所
 最近、私は、全国から引きこもりや不登校や暴力その他の行為で中学校や高校を退学した子供達が、もう一度一から色々なことを学んでいくために通っている北海道の高校を取材して一冊の本を作った。
 この高校を卒業して今は社会人として働いている人、大学生になっている人など、大阪、京都、東京、札幌で、16名の声を聞いた。
 そして彼らが、自らの過去を振り返り、まとめた文章を編集させていただいた。さらに現在の姿を、写真家の鬼海弘雄さんに撮影してもらった。(抜粋引用)


      追 悼

裏木戸に祖母の呼び声 春夕べ


西日というとあまり良い印象がないように思う。夏の西日は遮らなければいけないものという感じだし、東向きにキッチンがあると朝の光を受けて清潔な印象があるが、西側にキッチンがあると西日を受けて食べ物が傷むというふうな連想をしてしまう。

今住んでいる仮住まいの家のキッチンは東側にあるのだが、東側に隣家が迫っているのでほとんど陽は差さない。午後になってキッチンと食卓を置いている部屋の間の扉を開けて夕食の準備をしていると、キッチンまでは届かないが、西日が明るく差し込んでくる。

昔から西日は結構好きだった。根が健康的な性質でないから、元気溌剌健康的な朝より午後遅い時間帯の方が好きなのだ。

西日というと、裏木戸が連想される。子どもの頃の祖父母の家は西側に裏木戸があって、すぐ裏には木場に材木を運ぶための線路、線路の向こう側に原っぱが広がっていた。木戸の出入り口付近が小さな沼のようになっていたのでそこから出入りすることはなかったのだが、夕暮れになるとそこから祖母が顔を覗かせて私を呼ぶのだった。呼ばれると、ずっと遠回りをしてうちに帰る。

この句は「春夕焼け」でも考えたが、遅くまで遊んでいる子どもと「夕焼け」は連想されやすく、私の中で「夕焼け」よりもぷわ〜んと黄色い「西日」につながる光景なので、「春夕べ」にした。この前いらくささんが、「そうとうに やさしくないと つかえない はるゆうべという きごときづいて」という歌を作っていらしたので、この季語を使うことが少しためらわれたのだけれど・・。


春ゆふべあまたのびつこ跳ねゆけり 西東三鬼
この句の素晴らしい解説は、
こちらから↓どうぞ。上から八句目です。
http://zouhai.com/cgi-bin/g_disp.cgi?ids=19970310,19980312,19990125,20000306,20000310,20020413,20050417,20050422,20060416,20071002,20080301,20080309,20080625,20090331,20110309,20110517,20110823&tit=%8Ft%82%CC%95%E9&tit2=%8BG%8C%EA%82%AA%8Ft%82%CC%95%E9%82