風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ヴォーリズ没後50年で、この秋、近江八幡が・・

建築家で近江兄弟社創立者であるW.M.ヴォーリズの没後50年ということで、この秋、近江八幡が賑わいそうだ。

私は、「牧師館のお茶会」で宮葉子さんが、「子どもたちの目線の高さに十字架ののぞき窓がたくさんある近江兄弟社学園の塀」を紹介しておられたのを拝見して、一度見てみたいと思っていたのだった。
十字架の形をした窓から外を見る。
幼い子どもはキリストの十字架の意味など理解することもないだろうが、幼い頃の日々の体験は、長じてからの世界の見方に本人も気付かぬうちに影響を与えているのではないだろうか。十字架の形にくり抜かれた窓から見る世界は、神がキリストによって罪の中から救い出そうとなさった世界であり、救い出された世界なのである。


このウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した神戸女学院大学で長く教えておられた内田樹氏は、『修業論』の中で次のように書いておられる。

 先に触れたヴォーリズは宣教師でもあったから、彼が設計した建物が「信仰への導き」の装置となっているのは当然のことである。建物を実際にご覧になるとわかるけれど、ヴォーリズの建物には無数の暗がりがある。思いがけないところに隠し扉があり、隠し階段があり、隠し部屋がある。一つとして同じ間取りの部屋がない。
 好奇心にかられてドアノブを回して、見知らぬ空間に踏み込んだ学生は、その探求の行程の最後で必ず「思いがけないところに通じる扉」か「思いがけない景観に向かって開く窓」か、どちらかを見出す。
 その点でヴォーリズはほんとうに徹底している。好奇心を持って、自分の決断で、扉を押し開き、階段を昇っていったものは、「思いがけないところに出る扉」か「そこ以外のどこからも見ることができない景色」という報奨を必ず与えられる。信仰への誘いとして、また学びの比喩として、これほど教化的な建築物はあるまい。
 ヴォーリズの建築物は「計測装置の精度を上げる」ことへのインセンティブとして、きわめてすぐれたものであったと私は思う。私自身、その建物の中で長い時間を過ごしたが、それが武道家としての感覚形成と無関係であったとは思われない。(内田樹=著『修業論』(光文社新書)より)

私はこのところを読んで聖書の次の言葉を思い浮かべた。

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(マタイ福音書7:7)


● ニヒリズムと生命力
第3回 風天塾を開催します。
テーマ:ニヒリズムと生命力
10月19日(日) 午後1時半開場 2時開演
場所: IMPACT HUB KYOTO(虚白院)
〒602-0898 京都市上京区相国寺門前町682  電話:075-417-0115
佐伯啓思(社会経済学)×村瀬雅俊(生命基礎理論)×佐伯剛(風の旅人編集長)
 参加費 A:1500円・・風の旅人復刊第4号をオンラインで購入済みの方
     B:2000円・・風の旅人復刊第4号をオンラインで購入されていない方
*ワンドリンク(ビール)付き。アルコールの飲めない方は、申し込み時に連絡ください。ソフトドリンクをご用意します。 
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このたびの第3回風天塾で、経済発展などという言葉によってゴマカされている現代人の心の中に潜むニヒリズムの問題を掘り下げていく議論が出来ればと思う。(抜粋引用)