風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

彼らは自分の息子、娘たちすら救うことができないー(エゼキエル書14:12~20)

主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、もし、ある国がわたしに対して不信を重ね、罪を犯すなら、わたしは手をその上に伸ばし、パンをつるして蓄える棒を折り、その地に飢饉を送って、そこから人も家畜も絶ち滅ぼす。たとえ、その中に、かの三人の人物、ノア、ダニエル、ヨブがいたとしても、彼らはその正しさによって自分自身の命を救いうるだけだ、と主なる神は言われる。
もし、わたしが悪い獣をその国に横行させ、それによって住む人がいなくなり、獣を恐れて通る人がないために国が荒れ廃れるなら、その中に、かの三人の人物がいたとしても―わたしは生きている、と主なる神は言われる―彼らは自分の息子、娘たちすら救うことができない。彼らは自分自身を救いうるだけであり、その国は荒廃に帰するであろう。
また、もしわたしが剣をその国に送って、『剣よ、この国を行き巡れ』と言って、その国から人も家畜も絶ち滅ぼすなら、たとえ、その中にかの三人の人物がいたとしても―わたしは生きている、と主なる神は言われる―彼らは自分の息子、娘たちすら救うことができない。彼らは自分自身を救いうるだけである。
また、もしわたしがその国に疫病を送り、わたしの怒りをその上に血と共に注ぎ、そこから人も家畜も絶ち滅ぼすなら、たとえ、その中にノア、ダニエル、ヨブがいたとしても―わたしは生きている、と主なる神は言われる―彼らは自分の息子、娘たちすら救うことができない。彼らはその正しさによって、自分自身の命を救いうるだけである。(エゼキエル書14:12~20)

どんなに正しい者であっても、自分の息子や娘すら救うことができない、という。
私たち人間を救いうるのは、イエス・キリストただお一人だけであるという・・。
しかし、キリストは来られた。私たちを救うために。

増え続けるバルトの『教会教義学』に頼り切ってはならない。バルトは私たちを手助けできるかもしれないが、救いはしない。(フロマートカ=著『神学入門プロテスタント神学の転換点』(新教出版社)より引用)