風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『零戦ーその誕生と栄光の記録』堀越二郎=著(角川文庫)、そして宮崎駿『風立ちぬ』

帰っては来なかった僕の美しい夢
ジブリの『風立ちぬ』を観て堀越二郎に興味を持ち、角川文庫から零戦ーその誕生と栄光の記録』という書物が出ていることを知って、欲しい物リストに入れた。その後、近くの本屋に行ってみると、平棚に積んである。しかも『風立ちぬ』のイラスト入りの宣伝帯付きで!そこで近くにある大きなチェーン店でなく、ちょっと離れた昔からある小さな本屋に行って買った。

昔から私は、絵画でも音楽でも作品そのものよりその作り手に興味を持つことが多い。人間に興味があるのだ。飛行機とか自動車とかには全く興味はないのだが・・。

今回の宮崎駿風立ちぬは宮崎作品の最高傑作だと思うのだが、気に入らないところがないわけではない。実は、堀越二郎の半生を描くだけで良かっただろうと私は思っている。堀辰雄の『風立ちぬ』からは訳詞の一節だけを取り入れればそれで良かったではないか!と・・。けれど、薄命の美少女を登場させなければ話題性はガタ落ちになるだろうから売るためには仕方のないことだろうと思う。どんなに良い作品を作っても多くの人に観て貰えなければ商売にならないのだから。

さて、買ってきた本を私は順序正しくきちんと初めから読んだためしがない。そこで、まだ全部は読んでいないのだが、この本の最後の方から抜粋引用してみたい。

神風特攻隊
 ・・。私は、六月のマリアナの陥落を知ったとき、日本の敗戦は決定したとは思っていたが、この記事を読んで「ついにここまで追いつめられたか。」という感じをいっそう強くした。その後も新聞などで、特別攻撃隊の敵艦への体当たり攻撃がつぎつぎと報道された。・・。あまりにも力のちがう敵と対峙して、退くに退けない立場に立たされた日本武士が従う作法はこれしかあるまいと、私はその痛ましさに心の中で泣いた。ほどなく私は、この神風特攻隊の飛行機として零戦が使われていることを知った。・・。
 ここまでこの原稿を綴ってきて、私は、当時私自身が書いた「神風特攻隊景仰頌詞」という短文を取り出して読んでみた。これは、十九年十二月のはじめ朝日新聞社大阪本社出版局が『神風特攻隊』という本を出版するについて、各界十人の人の中に零戦の主任設計者である私を入れて、めいめい特攻隊をたたえる短文を書いてほしいという依頼があって書いたものである。・・。
 多くの前途ある若者が、けっして帰ることのない体当たり攻撃に出発していく。新聞によれば、彼らは口もとを強く引きしめ、頰には静かな微笑さえ浮かべて飛行機に乗りこんでいったという。・・。彼らがほほえみながら乗りこんでいった飛行機が零戦だった。
 ようやく気をとりなおし、この戦いで肉親を失った人びとに代わってこの詞を書くのだと自分に言いきかせながらペンを取ったが、・・。私に、手ばなしで特攻隊をたたえる文など書けるはずがなかった。なぜ日本は勝つ望みのない戦争に飛びこみ、なぜ零戦がこんな使い方をされなければならないのか、いつもそのことが心にひっかかっていた。もちろん、当時はそんなことを大っぴらに言えるような時勢ではなかった。しかし、つぎのような一節だけでも強く訴えたかった。
「(省略)」
 私がこの言葉に秘めた気持ちは、ひじょうに複雑なものであった。その真意は、戦争のためとはいえ、ほんとうになすべきことをなしていれば、あるいは特攻隊というような非常な手段に訴えなくてもよかったのではないかという疑問だった。

        堀越二郎=著『零戦ーその誕生と栄光の記録』(角川文庫)より引用。

宮崎吾朗監督作品の『コクリコ坂からの中で主人公が語る台詞がある。
古いものを壊すことは
過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか!?
人が生きて死んでいった記憶を
ないがしろにするということじゃないのか!?

宮崎駿氏は『風立ちぬ』の中で、「人が生きて死んでいった記憶」を蘇らせようとしたのだ。

関連記事
 ↓
http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20130724/p2