風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

大口玲子歌集『トリサンナイタ』(角川書店)



大口玲子さんの第四歌集『トリサンナイタ』(角川短歌叢書)が届いた。
受洗、出産から被災、自主避難へと至る六年間が詠われている。



靉光
あいみつ)に描かれそれぞれ苦しめり「黒のキリスト」「赤のキリスト」
子のあらば子と見たき冬夕焼かこの世の終はり見つむるごとし
         ・
わがうちに小さきひとゐて緑濃きアスパラガスの茎を分け合ふ
売れるなら母乳売りたしゆく秋のところどころでわれは苛立つ
月光の冴えまぎれなく死を照らし幼きイエス母乳飲みにき
         ・
懸命にはなびら散らす鵯をさくらは鷹揚に隠してゐたり
咲き満てる桜さへづりをこぼすたび子もさへづりぬトリサンナイタ
産まざればできぬ虐待、遺棄、心中きらきらとわが手中にをさめ
         ・
水、電気、ガス止まりたるを言ふわれに「津波原発」と夫は苛立つ
Googleマップいくたびも見る 原発とわれとの距離を確かめながら
許可車両のみの高速道路からわれが捨ててゆく東北を見つ
八日ぶりに髪も洗ひて湯につかり後ろめたさが深刻になる
なぜ避難したかと問はれ「子が大事」と答へてまた誰かを傷つけて
         ・
黄昏のこの東北をともに生きたしと書きよこすいかなる風を聞きしか
仙台をすぐに離れて戻らざる妻をかばひてきみ生きをらむ
休刊日前夜の安息にきみは居てわれも眠ければ呼び出さず過ぐ

             (大口玲子『歌集トリサンナイタ』(角川書店)より)


「子が大事」と言って何が悪いのか「自分大事」で皆すてたイェスを
「子供が大事だと思ったから自主避難をした」というのは本当だろう。けれど大口玲子さんの中には、「一歩間違えば自分も子供を虐待死させたかも知れない。そのような母達と同じ所に立って生きてきたのだ」という思いがあったと思う。
そうだ、私たちは「子が大事」と言いながら死なせることがある。「愛している」と言いながら愛しきれない思いを抱いている。けれど、こんな時代だからこそ、「子が大事」、「愛している」と宣言して、自らの宣言に忠実にひたむきに生きていきたいと思うのだ。