村は せんそうで はかいされ、
いまは もう ありません。
『せかいいちうつくしいぼくの村』小林豊=作(ポプラ社)
風の旅人編集だよりの「原発事故で被爆した小さな村を舞台にした美しい表現」の中の言葉が私の心を捉えた。
本橋さんは、酷すぎる現状に代わる未来を何とか手繰り寄せようとしている。酷い現状に対して、あたかも自分は潔白であるかのように糾弾するばかりで なく、同じ人間として現状を哀しみ、まずは自分の内側から変えていこうとする静かな意志が、本橋さんの作品には脈打っている。その意志は、祈りであり、魂 と言うべきものだ。
本橋さんは、人間の愚かさによって壊されてしまったものを強調するのではなく、壊してはいけないと痛切に感じさせる世界を浮かび上がらせる。一人一人の心に、「壊したくない、壊してはいけない」と痛切に哀切に願う気持ちが生じなければ、政府を批判しても何も変わらない。
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そして小林豊さんの絵本を思い浮かべた。
以下、『せかいいちうつくしいぼくの村』あとがきより引用。
戦争がはじまって10年めの夏、わたしはアフガニスタンを旅しました。
旅のとちゅう、わたしは小さな村にたちよりました。戦争のなかでも、ひとびとは明るく、力強く生きていました。そして、旅人のわたしを、あたたかくむかえてくれました。
パグマン村とは、そのときわたしがたずねた村がモデルです。その村で、わたしは、ヤモのような小さい子どもたち、おとうさんのような誠実なひとたちと知りあい、友だちになりました。けれども村は、そののち、パグマン村とおなじように爆撃をうけ、破壊されました。なつかしいひとびとが、いまどこにいるのかはわかりません。
・・・。
アフガニスタンの内戦が1日もはやくおわって、すべての村に、むかしのような平和がおとずれてほしい。外国へ避難したひとびともかえってくるだろう。そうしたら、もういちどみんなと、せかいいち美しい村であいたい、そうねがっています。