風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ソーニャ 4 − ドストエフスキー『罪と罰』

と、人込みのなかから、音もなくおずおずと、ひとりの娘がぬけ出てきた。貧困と、ぼろと、死と絶望に包まれたこの部屋には、彼女の突然の出現は奇異にさえ感ぜられた。彼女の着ているものもぼろにはちがいなかった。いかにも安っぽい身なりにちがいなかった。だがその服は、ある特殊な世界におのずとできあがっている趣味や法則を映して、いかにも下品でけばけばしく、いやしい目的をあまりにも露骨に見せつけていた。ソーニャは入口の敷居の上で立ちどまったが、その敷居をまたごうとはせず、途方にくれたようにあたりを見まわした。(略)男の子のように横っちょにあみだにかぶったこの帽子の下からは、口をぽかんとあけて、恐怖のあまりじっと目のすわってしまった、痩せて青白い、おびえたような顔がのぞいていた。ソーニャは十八くらいで、痩せて小柄だったが、青い目のすばらしい、なかなかきれいなブロンドの娘だった。彼女は寝台と坊さんをじっと見つめていた。いそいで歩いて来たらしく、彼女も息をはずませていた。やがて群衆のあいだのひそひそ声や何かの言葉が、彼女の耳にも達したらしい。彼女は目を伏せて一歩敷居をまたぎ、部屋のなかにはいったが、やはり戸口を離れようとしなかった。

(略)

 それまで彼はソーニャに気づかなかった。彼女は部屋の隅の陰になったところに立っていたのである。

(略)

事実、彼は娘がこんな身なりをしているところを、一度も見たことがなかったのである。だが、ふいに彼は娘に気づいた。さげずまれ、ふみにじられ、けばけばしくめかしたてられ、そんな自分を恥じて、臨終の父に別れを告げる番がまわってくるのをただつつましく待っている娘。底知れない苦悩がありありと彼の顔に現われた。(岩波文庫罪と罰 上』p377~p382)

赤字表記は、管理人ミルトスによる)

 

 

わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。彼はもろもろの国びとに道をしめす。彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。(イザヤ書42:1~3)

 

彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。(イザヤ書53:2~4、7、11)