風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

どこに愛があるというのか!— ドストエフスキー『罪と罰』1

台風が最接近した月曜の夕方、家に着いた。

家に帰ったら持って来ようと思っていた『罪と罰』を少し読んで寝ようとしたら、雨風が凄まじくて眠れないので、また灯りを点けて続きを読む。台風が通り過ぎて静かになったのに、今度は悲しすぎて眠れなくなった。

 

カラマーゾフの兄弟』は心情に共鳴しながら一気に読んだが、描かれている世界は私の住む世界とかけ離れていた。

しかし『罪と罰』は全く共鳴できないにもかかわらず、子どもの頃に見ていた世界そのものだったのだ。もちろん私は身売りもしていなければ、祖父が宝くじに当たったために短大にも行かせて貰え、小学校の教員として働くことも出来た。

けれど『罪と罰』の世界は、その頃見ていた世界とそれほどかけ離れてはいなかった。

だから私には、読むのが厳しい。

 

私の父は酒乱だった。両親は私が生後半年で離婚している(正確には母が私を連れて逃げ、その後離婚が成立した)ので、実際の父を見てきたわけではない。けれど、20代で再会した父、その後送ってよこした手紙を読めば、それで十分私が父を知っていたことが分かる。

 

 マルメラードフは自分の額を拳固でたたき、歯をくいしばり、目をとじて、どさりとテーブルに肘をついた。が、一分もしないうちに、彼の顔つきはふいに変わった。いかにも取ってつけたような狡猾さと鉄面皮を気取りながら、ちらとラスコーリニコフのほうをうかがい、ふいに笑いだした。

「今日はソーニャのとこへ行ってきましたよ、酒代をせびりにね! へ、へ、へ!」(『罪と罰 上』(岩波書店)より) 

 

マルメラードフの語りを読んでいて、馬鈴薯を食べる人達」「袋を運ぶ炭坑夫の妻達:重荷を背負う者」等、ゴッホの絵を数枚思い起こしていた。オランダだろうが、イタリアだろうが、ロシアだろうが、同じものが描かれている、と思う。

 

 「よろしいですか、あなた」彼は、荘重ともとれる調子で口を切った。「貧は悪徳ならず、こいつは真理ですよ。いや、もっと真理なのは、飲んだくれは善行ならず、ですかな。しかし、貧乏もですよ、洗うがごとき赤貧となると、こいつはもう悪徳なんですな。ただ貧しいというだけなら、人間本来の高潔な感情も持ちつづけていられる。ところが、貧乏もどん底になったら、そうはいきません。貧乏のどん底に落ちた人間は、棒で追われるのじゃない、箒でもって人間社会から掃きだされる。つまり、屈辱を思いきり骨身にこたえさせろという寸法ですな。いや、それが道理なんですわ。なぜって、貧乏のどん底に落ちると、私など、まず自分で自分をはずかしめにかかりますからな。そこで酒場なんです!(『罪と罰』)

 

ここを読んで箴言の御言葉を思い浮かべた。

 

貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。飽き足りて、あなたを知らないといい、「主とはだれか」と言うことのないため、また貧しくて盗みをし、わたしの神の名を汚すことのないためです。(箴言30:8,9)

 

けれど巻末の訳注では、この箴言の言葉はあげられていなかった。

ドストエフスキーはどうだったろうか?この聖書の言葉を頭に置いていただろうか?分からないが、「貧乏」ということがこの物語の始まりにあることは確かだろう。

では「貧乏」を、何か、政治の力か何かで取り除いたら、どうだろうか?今よりマシになるだろうか?

 

父には大人になるまで会うことはなかったが、祖父母と住んでいた二軒長屋の家に叔父夫婦がやって来て喧嘩をするのを見ていた。その後、この二人は離婚する。詳しいことを書けないから伝えきれないが、貧乏は不幸の大きな要因だろうが決定打ではないということだ。人間そのものが悲しいのだ。そういう世界を見てきた、と思う。だから『罪と罰』は読めない、読むけど。

 

 

どこかに愛はないのだろうか、そう思って私はキリストの教会に来た。

 

「神様、あなたに会いたくなった」(八木重吉― 私の信仰はこんな単純なものだ。

 

 

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