風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

願ひ続くはあなたの救ひ

「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝16:31)


長く教会の奏楽を勤めてこられた姉妹が亡くなった。
私が葬儀のために選んだ讃美歌は、二編157番。この讃美歌は元々アイルランド民謡で、ロンドンデリーの歌として複数の訳詞を持つ。その中の一つには、「我が子よ愛しの汝を父君の形見とし心して慈しみつ今日まで育て上げぬ」という訳がついている。
姉妹のお母様は、御夫君が軍医として応召し亡くなられた後、キリスト者となられ、三人の姉妹を育てられた。その信仰を受け継がれた姉妹方もキリスト者となられたのだった。
この軍医として応召し戦地で亡くなった姉妹の父上は、私の母の従兄にあたる。遠い縁戚関係にあることはずっと以前に聞いていたが、詳しい繋がりは今回葬儀の準備をする中で初めて知った。このことは、娘のアトピーや夫の心不全に手探りで対処してきた私にとって、少なからぬ励ましとなった。


何からの救ひなのかはわからねど願ひ続くはあなたの救ひ

キリスト教で「救い」というと、罪からの救いだとか、死から救われて永遠の命に入れられる等と、私たちキリスト教徒は繰り返し繰り返し聞いて頭では解っている。
けれど、目の前で苦しんでいる人を見れば楽になられるようにとは願っても、「永遠の命に入れられる」ことを願うとは思えない。まして、喜んで機嫌良く生きている人に「救い」を差し出そうとすることはなかなか難しいことのように思える。自分の目の前で幸せに元気に生きていれば、それで十分ではないかと思ってしまう時もあるのではないだろうか?
私自身、「永遠の命」と言われてもピンと来なければ、それで喜びの感情が湧き起こって来るわけでもない。
けれど、それでも私たちキリスト教徒は、心の奥深くで、やはり愛する者の「救い」を願い続けているものなのではないかと思う。
再治療が繰り返される中で、姉妹はご自分の死についてはすでに受け止めておられたように思えた。牧師の体調を気遣いながら、牧師の退院を待っていたかのように一気に悪くなられたが、穏やかな最期だった。けれど最期まで、遺される御夫君の「救い」を願って気にかけておられたように思う。

 神の御業は、わたしたちが生きるためのものです。罪による死を越えて、主が給う永遠の命に生きるためのものです。聖書は告げます。「神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのち」(ローマ6:23)である、と。(葬儀の辞より)

何を受けているのだらうか・・? Ave Verum Corpus身内に染みをり
配餐の時を流れしAve Verum Corpus 花を献ぐる今に流るる



主は、その道の初めにわたしを造られた。…。
永遠の昔、わたしは祝別されていた。…。
      ・
      ・
御もとにあって、わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
主の造られたこの地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。(箴言8:22,23,30,31)


● 『民進党の代表選』と『ユジャ・ワン ピアノ・リサイタル@サントリーホール』、それに『0909再稼働反対!首相官邸前抗議』
ということで、今週も官邸前へ。9月とは言え、今日の午後6時の気温は28度。それに蒸します。今日の参加者は主催者発表で900人でした。
(中略)
9/8の木曜日に毎日新聞が報じた『原発廃炉や賠償の費用を新電力などにも負担させる政府原案』、超ふざけた話ですよね。太陽光や風力などの新電力会社やそのユーザーが何で原発のコストを負担しなければならないんでしょうか。
(中略)
詳細記事に政府の言い分が載ってました原発コスト負担>大手の救済色濃く 利用者の反発必至 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
 ・新電力に切り替えた消費者も、過去には大手電力が原発で発電した電力を使っている
 ・原発廃炉や事故の賠償を円滑に進めるには、新電力を含むすべての契約者に負担を求めるべきだ
はあ?全然関係ないじゃない(笑)。過去に使った電気のカネをなんで、もう一度取られなければならないんだよ! これじゃあ 資本主義自体を根本から否定していますよ。…。
要するに、ここまで滅茶苦茶なことをしなければ原発は維持できなくなっているってことです。しかも原発なんて北朝鮮の格好の標的でしょ。こんなもの、いつまで続けていていいんですかね。日本人、みんなが損するのに。(抜粋引用)