風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『ポケットのなかのプレゼント』と『100万回生きたねこ』

以前に書いた絵本の紹介から、

柳澤恵美=文、久保田明子=絵『ポケットのなかのプレゼント』(ラ・テール出版局)
今回は『ポケットのなかのプレゼント』という絵本を紹介したいと思います。
ガンで余命半年の宣告を受けながら、子ども達に命の大切さを伝えたいと教壇に立ちつづけた神奈川県浜之郷小学校の大瀬敏昭先生が2004年1月3日に亡くなったと小学生新聞で報じられました。この『ポケットのなかのプレゼント』は、大瀬校長先生が病床で勇気づけられた絵本の中の一冊として紹介されていたものです。

ひろい森のおくにある、だれも見たことのないうさぎの国のお話です。この国では赤ちゃんが生まれると新しいジャケットにお誕生日ごとにポケットを縫い付けていきます。お誕生日のプレゼントを入れるためです。ある家に赤ちゃんが生まれました。はじめてのお誕生日、お母さんはポケットに小さい歯ブラシを入れました。2才のお誕生日にはタオルを、3才ではハンカチとちり紙を、4才には4つめのポケットに赤いえのついたスコップを入れました。うさぎの坊やは、ポケットに虫めがねや目覚まし時計や世界地図を入れてもらって、最後には立派な青年になります。

この絵本は作者の柳澤恵美さんが幼い二人のお子さんのために遺したものです。夫君の柳澤徹さんがあとがきにこう書かれています。「この絵本は子供のしつけをテーマにしたものです。妻が今まで子供たちに教えてきたこと、そして、これから子供たちが大人になるまでに教えておきたかったことを書きあらわしました。後半はかなり親の希望や期待が含まれた内容になってしまいましたが、これからの日本を、そして世界を担っていく子供たちが、このように育ってくれればと願ってやみません」

この絵本のちょうど真ん中あたりに『聖書』が出てきます。12才の誕生日に贈られたプレゼントです。−「そんなうさぎの12才のおたんじょうびに、おかあさんは『聖書』をプレゼントしました。キリストのおしえが かいてある本です。そこには『あなたのとなりの子を じぶんとおなじように愛しなさい』とかいてありました」−こんな風に直截に子ども達に聖書をさし出せたらどんなに良いだろうと思います。でも、宗教が関係した戦争が起こって、キリスト教について口に出すのも憚られるような気さえするのです。けれど、キリストの教えは隣り人を愛することではなかったか。私たちが愛し合うようになるために、キリストは十字架を負われたのではなかったか。もっと単純にそのことを伝えていきたいと思ったのです。

この絵本には“死”というものは描かれていません。けれど、この絵本には死を目前にした二人の人の想いがこめられています。この二人の人が、死を前にして子ども達に懸命に伝えようとしたことは「愛する」ということだったのだと思い、このページを開いて、私は涙が止まりませんでした。そして、私もこのように生き、このように死にたいと思ったのです。そんな想いの込められたこの絵本を皆様にご紹介したいと思います。



佐野洋子=作『100万回生きたねこ』(講談社
今回も、浜之郷小学校の大瀬敏昭先生を支えた絵本について書いてみたいと思います。佐野洋子=作『100万回生きたねこ』です。

「100万年も しなない ねこが いました。100万回も しんで、100万回も 生きたのです。りっぱな とらねこでした」と始まる、このお話のねこは100万人の人に飼われます。
「あるとき、ねこは 王さまの ねこでした。ねこは、王さまなんか きらいでした。王さまは せんそうが じょうずで、いつも せんそうをしていました。ある日、ねこは とんできた やに あたって、しんでしまいました。王さまは、たたかいの まっさいちゅうに、ねこを だいて なきました。王さまは、せんそうを やめて、おしろに、帰ってきました。そして、おしろの にわに ねこを うめました」ねこが死んだ時、100万人の人が皆、泣きました。けれども、ねこは一度も泣きませんでした。
最後にねこは、のらねこに生まれます。そして、1ぴきの白いねこに出会います。たくさんの子ねこが生まれて巣立っていきます。そうして、ある日、白いねこは、ねこのとなりで静かに動かなくなっていました。ねこは初めて泣きます。夜になって朝になって、ようやく泣き止んだ時、白いねこのとなりでねこも動かなくなっていました。

浜之郷小学校での取り組みの最後の時を報道したテレビ番組の中で、大瀬先生はこんなふうに語っておられました。「(死への)恐怖からのがれようとする思いが、子ども達に何か伝えなきゃいけないんじゃないかと思わせる」と。『ポケットのなかのプレゼント』を書かれた柳澤恵美さんも、ご自身の生の証しとしてお子さん達に絵本を遺されました。私達は死の恐怖を乗り越えようとする時、生きた証しを求めようとするのではないでしょうか。そして、自分の生きた証しを求めようとする時、人は愛そうとせずには居れないのではないでしょうか。100万回生きたねこも、最後に白いねこを愛して死んだ後、二度と生きかえることはありませんでした。

聖書にも、こう記されています「そこで、わたしはあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。(中略)愛を追い求めなさい」(コリントの信徒への第一の手紙)

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光声日記*徒然なるままに俳句にて日常を詠む*光声さんの短歌
百万回生きた貌する猫の眼が我をみつめて欠伸をしたり