今日のお説教から最後の部分を抜粋で掲載させて頂きます。
Ⅳ 真理に満ちていた恵み
ヨハネは、さらにこの恵みには真理がともなっていたと言っている。この「真理」は「真実」と言い換えることができる。そうすると、主イエス・キリストの恵みは真実を伴っているから、決して裏切ることはない。
何十年も前のことであるが、新聞に載ったこんな事件があった。
(略)
この犯人の手段はともかく、窮状から逃れようとした気持ちは分かるような気がする。しかし、犯人の期待はみごとに裏切られた。人間の真実はこのようないいかげんなものである。しかし、主イエスの真実は決して私たちを裏切らない。聖書に「イエス・キリストは、昨日も今日も、永遠にかわることはない方です」とある。イエス・キリストによって表された神の愛と恵みは決して変わらないし、裏切ることはないということである。クリスマスの喜びはこの方の誕生だからである。(「独り子の誕生」(ヨハネによる福音書1:14〜18)より)
実際は、原稿と微妙に違っていて、「永遠に変わることがないというのは、姿、形のことではない」と語られて、変わらないのは、私たちへの「愛」なのだということを伝えて下さった。
私は、永遠に終わらない(変わらない)ものがどこかにないのだろうかと思って、教会に行ったのだった。その探していた永遠に変わらないものとは、「愛」だったのだ、と知った。
初めて教会に足を踏み入れたのは中三の夏の終わりだった。永遠に終わらないものがどこかにないのだろうか、と思って・・。
言葉にされないと分からない、言葉にされて初めて腑に落ちるということがある、と思った。
ところで…。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。(ローマの信徒への手紙10:14,15,17)