わが主はあなたたちに災いのパンと苦しみの水を与えられた。あなたを導かれる方はもはや隠れておられることなく あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る。(イザヤ書30:20 新共同訳)
新共同訳のこの箇所を読むと、俄に理解しがたい思いになって、「これ、どういうこと?注解書を読まないと!」等と思わされる。
ここの部分は口語訳では、以下のようになっている。
たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。(イザヤ書30:20 口語訳)
ほんとうに訳というのはどれだけ重要か、と思う。
それゆえ、主はあなたがたを恵もうと待ち
あなたがたを憐れもうと立ち上がる。主は公正の神であられる。
なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む者は。
シオンの民、エルサレムに住む者よ
あなたはもはや泣くことはない。主はあなたの叫び声に応えて
必ずあなたに恵みを与えてくださる。主がそれを聞かれると
直ちにあなたに答えられる。主があなたがたに
苦悩のパンと苦しみの水を与えられても
あなたの導き手はもはや隠れることがなくあなたの目はあなたの導き手を見る。
あなたが右に行くときも、左に行くときも
あなたの耳は、背後から
「これが道だ、ここを歩け」と語る言葉を聞く。(イザヤ書30:18~21 聖書協会共同訳)
「ここにいる、ここにいる」と声ききたし未知なる道をゆくときに