風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

訳というのはほんとうに・・。(イザヤ書30:20)

わが主はあなたたちに災いのパンと苦しみの水を与えられた。あなたを導かれる方はもはや隠れておられることなく あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る。(イザヤ書30:20 新共同訳)

 

新共同訳のこの箇所を読むと、俄に理解しがたい思いになって、「これ、どういうこと?注解書を読まないと!」等と思わされる。

 

ここの部分は口語訳では、以下のようになっている。

 

たとい主はあなたがたに悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。(イザヤ書30:20 口語訳)

 

ほんとうに訳というのはどれだけ重要か、と思う。

 

それゆえ、主はあなたがたを恵もうと待ち
あなたがたを憐れもうと立ち上がる。

主は公正の神であられる。

なんと幸いなことか、すべて主を待ち望む者は。

シオンの民、エルサレムに住む者よ
あなたはもはや泣くことはない。

主はあなたの叫び声に応えて
必ずあなたに恵みを与えてくださる。

主がそれを聞かれると
直ちにあなたに答えられる。

主があなたがたに
苦悩のパンと苦しみの水を与えられても
あなたの導き手はもはや隠れることがなく

あなたの目はあなたの導き手を見る。

あなたが右に行くときも、左に行くときも
あなたの耳は、背後から
「これが道だ、ここを歩け」と語る言葉を聞く。

      (イザヤ書30:18~21 聖書協会共同訳)

 

 

「ここにいる、ここにいる」と声ききたし未知なる道をゆくときに