風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

頂いたお年賀状を読んでいて・・ー ドストエフスキー『罪と罰』

頂いたお年賀状を読んでいて、ドストエフスキーの『罪と罰』について思い浮かんだことがあった。

 

「ドストエフスキー『罪と罰』32 」で、共産主義的な新思想の持ち主レベジャートニコフについて書いたのだが、この登場人物も、スヴィドリガイロフが自死の前にソーニャを解放したと同じようにソーニャを助けたということができる。

つまりドストエフスキーは、共産主義的な思想の持ち主を批判的に描きながら、その人物にキリストを助けさせていると言える。ソーニャがキリストとして描かれているとするなら、だが。

 

ここにも「踏み越え」ということが表れていると私には思える。あらゆる境界を踏み越えてゆく、あるいは隔ての中垣を超える、そういうものが表されていると思える。

 

南の室の下に、人々が通路にはいる東の入口があり、これに対して隔てのかきがあった。(エゼキエル書42:12)

 

キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。(エペソ人への手紙2:14~16)

 

 

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