風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

島弘之=著『小林秀雄 悪を許す神を赦せるか』(新潮社)

再度借りて、返す日が近づいているので、この本についてメモしておこう。

 

島弘之=著『小林秀雄 悪を許す神を赦せるか』(新潮社)

 

この本は、「ロマン主義への愛憎の顚末」、「悪を許す神を赦せるか―小林秀雄ドストエフスキー」、「心情の明滅の果てに」という3章からなっている。

その中で「悪を許す神を赦せるか」が最も長い。

私は、3章の「心情の明滅の果てに」は読んでいない。「悪を許す神を赦せるか」は読んで所々引用させてもらったが、取り立ててここで書く必要を感じない。

良かったと思ったのは、「ロマン主義への愛憎の顚末」であった。

これは、集英社文庫小林秀雄の『モーツァルト』の解説として書かれたもののようである。

 

最後の部分を引用して掲載させて頂こうと思う。 

  モオツァルトは、ヨオロッパの北部と南部、ゲルマンの血とラテンの血との交流する地点に生を享けたばかりではなく、又、二つの時代が、交代しようとする過渡期の真中に生きた。シンフォニイは形成の途にあり、歌劇は悲劇と軽歌劇の中途をさまよひ、聖歌さへ教会に行かうか劇場に行かうか迷つてゐた。若し、彼が、何等かの成案を提げて、この十字路に立つなら、彼は途方に暮れたであらうが、彼の使命は、自らこの十字路と化する事にあつた。

 

 こういう人間は日本にはいまい。そして、そのことこそ、ロマン主義の歴史と「現在」について烈しい愛憎の念を主体的かつ客観的に燃やし続けた小林秀雄が、簡単には土着派として居直り切れずに、その後も西欧やロシアの天才たちを追い求め続けた所以にほかならない。

(中略)

 ドストエフスキイ論をとうとう駄目にしたのはキリスト教がわからなかったからだ、と講演で語ったりもしているが、最晩年の小林には、絶筆の章を含む「正宗白鳥の作について」で、当然、内村鑑三について紙幅を割いたり、ルオーのキリスト受難像を好んでいたと伝えられるように、未だ不透明な部分が少なくない。なるほど本居宣長柳田国男を語りながら日本の八百万の神々に対する信仰告白は果たしたのかもしれないが、たとえキリスト教の「神」には肯けなかったとしても、「無条件に美しい人間」としてのキリストのことだけは、最期に到るまで小林秀雄の脳裏を去らなかったのではあるまいか。少なくとも『無常といふ事』と『モオツァルト』との事実上の同時進行のようなことが、彼の意識の中に偏在し続けたであろう。おそらく若年期の自殺未遂や心中志願といった経験の想起術を決して失念することがなかったであろうように。(島弘之=著『小林秀雄 悪を許す神を赦せるか』「ロマン主義への愛憎の顚末」より)

 

「悪を許す神を赦せるか」は「ロマン主義への愛憎の顚末」より後のもののようだが、その「悪を許す神を赦せるか」を読んだ限りでは、島弘之氏自身は信仰を持ってはいないようだった。

 

ドストエフスキイ論を駄目にしたのはキリスト教がわからなかったからだ」という言葉は小林秀雄botでも目にしたが、信仰の外側から知った風な口をきく者の多い中でこの言葉を口にできる凄さを感じたのだった。

 

子どもの頃からクラシック少女のようなところがあったのだが、モーツァルトには興味がなかった。

けれど、引用した小林秀雄の文章には魅せられる。

「若し、彼が、何等かの成案を提げて、この十字路に立つなら、彼は途方に暮れたであらうが、彼の使命は、自らこの十字路と化する事にあつた。」