風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「本当の苦しみは愛するものからやって来る」小林秀雄 - ドストエフスキー『罪と罰』と

「人間は憎悪し拒絶するもののためには苦しまない。本当の苦しみは愛するものからやって来る」 小林秀雄 『ランボオⅢ』

 

この言葉がどういう文脈で語られているのか知りたくて、小林秀雄の本を図書館から借りてきた。

 

人間生活の愚劣と醜悪とを、彼のように極端に無礼な言葉で罵った詩人は恐らくいない。また、その憤りの調子にしても、辛辣で直接で、独特なものがあるが、結局この天才のあり余る精力の浪費に過ぎないように思われる。何かが欠けている。彼は、どのような立場も持たず、あんまり孤立していて、それがなければ皮肉にも諷刺にさえならぬそういうある人間的理由が欠けているように見える。僕らは彼の当てどのない憤怒の彼方に虚無を見る。いずれにせよ、人間は、憎悪し拒絶するもののためには苦しまない。本当の苦しみは愛するものからやって来る。天才もまた決して例外ではないのである。(小林秀雄=著『ランボオ』より)

 


借りてきたものの『ランボオ』全体を読んでいないのではっきり分からないが、ここを読む限りでは、この言葉はランボオには当てはまらないもののように思える。

 

むしろこの言葉を見て私は、『罪と罰』にぴったり当てはまるではないか!と思ったのだ。

しかし、この最後の言葉を絶叫しながら、彼は思わずドゥーニャと視線を合わした。そして、その視線にこめられた自分ゆえの苦痛のあまりの大きさに、心ならずもわれにかえった。彼は、何を言おうと、やはりこのふたりの哀れな女性を不幸にしたのだと感じた。(岩波文庫罪と罰 下』p345)
(略)
『しかし、おれにそれだけの値打ちがないのだとしたら、どうして彼らはおれをこんなに愛するんだろう! ああ、もしおれがひとりぼっちで、だれからも愛されることがなかったら、おれだってけっしてだれも愛しはしなかったろうに! こんなことは何もなかったろうに!(p348)

 


「こんなこと」とは、金貸しの老婆の殺害のことだろう。

そもそも貧しいところに、妹ドゥーニャがラスコーリニコフのために身売り同然の結婚をすると言い出したことが殺人へと拍車をかけた。

どちら(ラスコーリニコフもドゥーニャ)も、「愛する故に」と言えなくもないのである。愛ゆえに引き起こされた苦悩だ、と。

 

「本当の苦しみは愛するものからやって来る」のだ、と深く深く肯かされる。

 

この小林秀雄の言葉は凄い言葉だ!