風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

黒川創=作『暗殺者たち』(新潮社)


 広げてみると、それはおよそ百年前の獄中にあった管野須賀子から、杉村楚人冠に宛てた、もう一通の“針文字”による手紙だったことがわかりました。その文面は、はっきり、このように読み取れたのだそうです。

 《京橋区瀧山町
   朝日新聞社
    杉村縦横様
        管野須賀子
  爆弾事件ニテ私外三名
  近日死刑ノ宣告ヲ受クベシ
  御精探ヲ乞フ
  尚、幸徳ノ為メニ弁ゴ士ノ御世話ヲ切ニ願フ
       六月九日
  彼ハ何ニモ知ラヌノデス》

 杉村「縦横」というのは、これも楚人冠その人の別号です。(略)
 手紙の日付は、「六月九日」。かねて知られていた横山勝太郎弁護士宛の“針文字”の手紙と同日です。つまり、かつて横山弁護士に対し、杉村が強い調子の「公開質問状」を発したとき、実は、すでに彼自身の手もとにも、こちらの“針文字”が届いていたはずなのです。
 そして、「御精探ヲ乞フ」。
 彼宛の手紙には、横山宛のものにはない、この一語がありました。ー よく調べてみてください、お願いします。ー と、管野は、そこで、低く、すがるように叫んでいます。
 また、ここでも「幸徳ノ為メニ弁ゴ士ノ御世話ヲ切ニ願フ」と書いています。横山勝太郎に頼むだけでは、管野にはなお不安だったことがわかります。
 けれど、何ができるでしょうか? 杉村も、指一本すら動かすことができなかった。そのことを、彼は誰にも語らず、この一六折りに畳みこまれた手紙のように、ただ、静かにしまっておいたのでしょう。その苦しみの一端が、百年を越えて、ここに現われ、甦ってくるまでは。(黒川創=作『暗殺者たち』(新潮社)より)


大石誠之助に関連した連作の最後に私は、「百年の時経れどなほその疵の奥へ奥へと深まりて閉づ」と詠んだのだった。
しかし、『暗殺者たち』には、杉村楚人冠の秘められた苦しみが百年を越えて甦ってきたと記されていた。助けを乞われてどうすることも出来なかった苦しみ、その苦しみに堪えてしまっておいたものが百年を越えて甦る。ここでも、無力に耐えるということを思う。
楚人冠の魂は出現した針文字の手紙と共に少しは苦しみから解き放たれたろうか?



 幸徳の逮捕とそれからの取り調べの進みかたには、管野も、強い衝撃を受けていました。自分が選んだ行動を悔いてのことではありません。ただ、こうした行動が引き起こす結果について、自分の考えが及んでいなかったところがあり、それがもたらす残酷さを嚙みしめねばならなくなったということです。これまで管野は、天皇に爆弾を投げつけようという計画に幸徳を強く誘ったことはなかったし、すべての計画を打ち明けたわけでもありません。なぜなら、彼女は、幸徳がさらにものを書いていくことを望んでいるのを、理解していたからです。
 ただし、そのさい、管野が充分考慮に入れていなかったのは、彼女自身は社会的にはほとんど無名だが、幸徳のほうはすでに名声があるということです。その名声のゆえにこそ、これほどやすやすと幸徳が「大逆事件」の主導者に仕立て上げられていくことになろうとは、彼女は想像していなかったのです。(『暗殺者たち』)


杉村楚人冠と弁護士横山勝太郎に宛てた管野須賀子の書中の「彼ハ何ニモ知ラヌノデス」という一節が、胸を衝く。

「罪は周りを巻き込む」ということを思わされる。アダムの犯した罪はアダム一人に留まらず、私たちにまで及んでいるということを思う。そしてまた、私たちの犯す罪もこれからの人達を巻き込むことがあるのだ。

ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきた(ローマ人への手紙5:12)