● 死にいたる瞬間(とき)までつよくやくされし首さながらに ああ はるがくる 村木道彦『天唇』
一般的に春は、生命や解放感、喜びや新しさを象徴するような季節だ。けれどもこの歌が喚起するイメージは、それとはまったく異なる。死に至る瞬間まで強い力で絞められていた首のように春が来る、という。…。あるいは、「ああ」を挟んでふたつも一字空けがあるから、「首さながらに」が係っていく言葉はその空白に省略されていて、そのように喩えられたのは春とは関係のない何か別のもの、その実体は明かされないままである、ということなのかもしれない。しかしいずれにせよ、残酷な死のイメージとともにこの春があることだけは確かだ。だから「ああ」には絶望のひびきさえ伴う。絶望の春が来てしまう。(染野太朗=文『一首鑑賞 日々のクオリア』より抜粋引用)
4ページ目に掲載させて頂いた短歌で、○○さんも夕べの静けさの中に神の臨在を詠っておられる。