ルカによる福音書3:1〜22より
ルカによる福音書3:23〜38の説教は
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http://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entries/2016/01/06キリストの系図たどればアダムから神にいたると聖書は告ぐる
むろん、ティリッヒに
ルカによる福音書読めばわたくしの根底に神のありて支ふる
ヨハネが獄に入れられる前に、イエスも彼のもとに来て、洗礼を受けられました。先に言われているように、ヨハネの洗礼は「罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマ」です。これは本来イエスに必要のないものです。自分に必要のないものであっても、わたしたちの前に救いの道を開くために、イエスは洗礼を受けられました。罪を持たない者が自ら罪ある者として洗礼を受けてくださったのです。
イエスは、受け入れる余地がなくても、世に来てくださいました(2:7)。自分の思いが理解されなくても、一緒にナザレに下り、両親に仕えられました(2:51)。そしてここでも、わたしたちの救いのために、ご自身に必要なくても洗礼を受けられるのです。
その時、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(21, 22節)。
神のひとり子が、神の栄光の座を離れて身を低くして、わたしたちのために仕えてくださる、清めてくださる、救ってくださる。これが、わたしたちを造り、わたしたちを愛し、わたしたちを救ってくださる神の御心なのです。