薬莢を拾うことなき一生と思えばいよよ遠き鯨影 松村由利子『大女伝説』
● 戦後憲法は単純な「押し付け憲法」ではない。
しかも、日本国民は、朝鮮戦争時において、アメリカの要求した「憲法改正」(9条改正?)を拒絶し、「平和憲法」を自主的に選択しなおしている。この時点で、「押し付け憲法」は「自主憲法」に変化したと言っていい。(抜粋引用)● 上記ブログの続き→http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20150726
民間憲法研究者の鈴木安蔵を中心とする憲法研究会の憲法草案は、マッカーサーの憲法草案に大きく影響をあたえていた。しかし、長い間、戦後の平和憲法形成過程で大きな役割を果たした、この民間の憲法研究会の役割のことは忘れられ、無視されてきた。(抜粋引用)● 江藤淳は、何故、宮沢俊義を批判したのか?
憲法学者たちには、憲法の原理、あるいは起源を、もしくは起源の起源を問うという「原理的思考」が、つまり「哲学的思考」がない。…。
さて、憲法学者たちは、憲法成立過程に関心を持っていないだけではなく、それを隠蔽しようとしている。(抜粋引用)
過去記事の「牧師の妻」で、松村さんの短歌を取り上げて、「この歌人は、人が身内に抱え持つ罪を見尽くそうとしているのではないか」と書いたのであるが、上記のような歌を見ると、見尽くそうとして見尽くせるものではないと詠っているように思われる。
そうだ、人は、自分に直接関係のない事柄は実感として感知することができないのだ。
愛し得ないことに苦しむことがなければ、愛せないという罪を抱え持っているということには気づかないのである。
ここに分かれ目があると思う。自分の事として感知するかどうか。
この歌の真似をして、こんな短歌擬きを作らせていただいた。
エデンの実もぎし記憶も持たざれば子等の被曝も遠き幻影