風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

暮らしとは・・橙(だいだい)


暮らしとは暗き厨に置く橙
炉火灯し暗き厨に立つ暮らし
榾明り囲めば風の声聞こゆ


橙(ダイダイ)=ミカン科の香酸かんきつ類。熟すと橙色に。


● 暮らしは、闇(くら)し。
 もはや、経済成長がなくても豊かさを実感できる社会の構築、生き方の変化を目指すしかないと思う。
 賑やかで絢爛たる状況が楽しいとは限らず、静かで穏やかで、しみじみと感じられる楽しさがある。・・。明るさは機微を消してのっぺりと標準化して固有性をなくすが、暗さの陰影は、個々の奥行の魅力を伝える。

 闇というのは、字のとおり、門の下で音を待っている状態。つまり、何か新しい兆しの”おとづれ”を待っている。  
 明るく照らし出して賑やかな音がいっぱいだと、その気配をとらえることができない。明るければ明るいほど物がよく見えるというのは錯覚で、どうでもいいものもいっぱい見えすぎて肝心なものが見えない。
 闇のなか、耳を澄ませることで初めて気付く大事なことがある。

 牢獄から脱け出すためには、暗いトンネルを抜けることが不可欠。3.11の震災後、街の灯りが少し暗くなって、暗いトンネルの中に入ったかなと思っていたら、いつの間にか明るいところに出てしまった。前に進んで脱け出したのではなく、強引に来た道を戻って、元の白々と明るい牢獄に戻らせたのがアベノミクスだと私は思っている。

 今、これまでにない何かが生まれようとしているが、だからこそ闇(くら)くないと、その気配をとらえきれない。
 そして、暮らしというのは、”くらし”なのだ。くらく控えめで色々なことを慮り、そのために充実感に満ちて過ごせる過程なのだ。(抜粋引用)