風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

藤の花房、ゆるる、揺るる


『俳句にとって「読み」とは何か』 萩山栄一
 どなたかかに示唆されてこんな論文を見つけました。読み応えのある内容でした。感謝致します。(ミルトス)
藤ゆるる心貧しきとき揺るる 植木道子

新堀邦司=著『神を讃う-キリスト教俳句の世界-』(新教新書)より

「心貧しき」という言葉の背景には福音書のイエスの言葉がおかれているだろう。

「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(マタイ福音書5:3)
これら、山上の説教と呼ばれているイエスの言葉は何度聞いても考え込んでしまう言葉である。ここの箇所の分かりやすい説教を聞いて、「そうか!」と納得しても、又いつの間にか忘れて、「これってどういう意味だっけ?」と思ってしまう。神の考えに思いの至らない人間は聴き続けなければならないのだと思う。同じキリスト教徒である私は上の句からそんなことを思わされる。「ゆるる」、「揺るる」、そう、最後の時まで、凡庸な私たちはイエスの言葉に首を傾げながら、揺れながら、生きるのかもしれない。



ひとりふたり子ら去りて藤揺るるのみ

写真は閉校になった小学校の藤棚
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藤棚の深きみどりに遊びゐし子達はいづこ花房ゆるる


子ら去りて藤の花房ゆれやまず