風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

高楼方子=作『時計坂の家』

高楼方子=作『時計坂の家』(リブリオ出版)

フー子は、従姉妹のマリカの誘いを受けて、夏休みに母方の祖父の家を訪れる。そこで、三十数年前に行方不明になった祖母スギノの真相を捜し始める。

高楼方子=作『時計坂の家』ーこの物語はファンタジーであり、ミステリー仕立てになっている。この物語を読み終えた時、両親が離婚してどちらも引き取ろうとしなかったために祖父母の元へと引き取られて行った子ども達のことを思った。そして私自身の両親のことを思った。

私の両親は、私が生まれてまもなく離婚した。夫婦というのは離婚によって全く縁を切ることもできるのかも知れないが、子どもというのはそういうものではないようで、私が二十を過ぎた頃、父が「病院に入院した」と施設から連絡が来た。その時、会いに行こうとした私に母は思いがけず激しく抵抗した。私の父はいつもふらふらと夢ばかり追いかけているような人だったと、私と同じように何かの宗教に入っていたこともあったと、だから、会いに行けば私も母の元に戻らないんじゃないか、と言うのだ。そんなはずないでしょう?帰って来るに決まってるじゃない!と訝りながら、私はその時、「絶対に私はキリスト教から離れない。母のことも絶対に捨てたりしない」と、心に決めたのだった。

ここではない何処かに惹きつけられて、大切な人達をも置き去りにして、ふわふわと当て処なく居なくなってしまう人。そんな人間の心性がこの物語には描かれている。

 『スギーラは、光の源を目指して、思いきり駆けてゆきました。草原は限り無く広かったのですが、ここでは、どんなに力いっぱい走っても、疲れるということがありません。・・。
 平に見えていた地平線でしたが、近付いてみると、光の源の辺りは、こんもりと、小高く円い山になっておりました。その小さな山全体が、七色の光を発していたのです。・・。
 どうして、もうそこら辺で、スギーラは、引き返して来なかったのでしょう。光の源に近付いて、どうしたいと言うのでしょう。でも、七色の光への憧れが、スギーラをはしらせるのです。・・。』

居なくなった祖母の代わりに送られてきたお手伝いのリサさんは、フー子の祖母と対となる存在として描かれている。配置された自分の場所で静かに満ち足りて生きる人として。この物語の中でリサさんは、もしかしたら主人公よりも大事な人物として描かれているのかも知れない、と私は思う。置き去りにされた人達の傍らにあって、淡々とした日々を静かに慈しんで生きる者として。

 フー子は、満ちたりた不思議さの中に浸りながら、祖父とリサさんとの、最後の食卓についたのだった。


 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。(ヨハネによる福音書14:18)