風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子43

私の「葛原妙子の短歌とキリスト教」はまだ終わっていない。けれど、ゆっくり歌の前に佇む時間が取れなくて、書けないでいた。
一番好きな歌についてもまだ書いていない。このまま死んだのでは死に切れそうにないので、今回は一番好きな歌について書くことにする。


明るき昼のしじまにたれもゐず ふとしも玻璃の壺流涕す 『葡萄木立』


葛原妙子の短歌に出合ったのは50代に入った頃だった。母が亡くなり友が亡くなって、自分の人生が折り返し点を過ぎていたと気づいた頃だ。

葛原妙子が第六歌集『葡萄木立』を上梓したのは56歳の年である。明治40年生まれ。4人の小さな子ども達を抱え戦争の時期を生きて来た妙子50代半ばの短歌が『葡萄木立』には収められている。


上記の歌から私は、ルカ福音書に記されている罪の女がキリストの足に香油を塗る場面を思い浮かべる。この記事が記されている7章37節には「石膏」の壺と書かれている。
サン・ピエトロ寺院を詠った妙子の歌の中に「雪花石膏」と書いて「アラバスター」とルビがふられているものがあるから、この歌の場合も「石膏の壺」を妙子自身イメージしていたであろうと思う。けれど実際の歌は「玻璃の壺」である。「玻璃」とは元々「水晶」を意味する中国の言葉で後にガラス器を指すようになった(織田昭=編『新約聖書ギリシア語小辞典』(教文館))ということだから、「石膏」よりも透き通った印象を受ける。
ここで私は、「明るき昼のしじまにたれもゐず」という前半部分に注目する。誰も見ていない明るい静けさの中で、妙子の心が透き徹り、露わになったのだ、と。透き徹って露わになった心から涙が滴り落ちたのだ、と。

では、どのような心が露わになったのだろうか。
ルカに記されたこの記事の続きには次のように書かれている。「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」(ルカによる福音書7:47)
妙子は「赦されて多く愛したい」という思いを抱えていたのではないかと、私はこの歌を読んで思う。
「愛したい」という心が露わとなって涙を流す ー キリストの足を涙で拭い高価な香油を惜しげもなく滴らせて塗った女のように。


カトリックの信仰を持った三人のお嬢さん方に取り囲まれながら、晩年になるまで洗礼を受けることを拒んでいた妙子である。洗礼を受けると決意した時にご長女に呟いた「やっぱりあなたたちと一緒になりたいわ」(猪熊葉子=著『児童文学最終講義』)という言葉を問題にする人もいるようだが、私は、妙子の中の赦しを求める心が時至って信仰告白へと実っていったのだと思う。
同じ歌集『葡萄木立』の最後の章には次のような歌が収められている。


青き木に青き木の花 繊(こま)かき花 みえがたき花咲けるゆふぐれ


信仰を持って生きる娘さん達に囲まれて、実を結ぶ前の見えがたいけれど確かに咲かせている葛原妙子の繊細な花が目に浮かぶようだ。


彼らは帰って来て、わが陰に住み、
園のように栄え、
ぶどうの木のように花咲き、
そのかんばしさはレバノンの酒のようになる。(ホセア書14:7)