風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた(ルカ福音書2:1~7による礼拝説教)

きょうは待降節第3主日です。
ルカによる福音書は、第2章でイエスの誕生の出来事を記しています。
ルカは、イエス誕生の出来事を記すに当たって、この世の支配者であるローマ皇帝の命令から語り始めます。

2:1 そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

アウグストというのは、ローマの元老院が与えた称号で、ラテン語で「崇敬に値する」という意味の言葉です。彼はその名をガイウス オクタヴィアヌスといい、ユリウス カエサルの養子となった人物です。彼は政治的機敏さと軍事的強さをもって内戦・反乱を平定し、イギリスからアジアに到る地中海世界を中心とした大ローマ帝国に平和をもたらした偉大なる人物です。彼は今や世界で最も力ある存在でした。全世界の人々の人口を調査し、全世界の人々を掌握できる大きな権力を持った人間でした。

皇帝アウグストは今「人口調査をせよ」という命令を下したのですが、旧約聖書の中では、人口調査は神の命令によってなされる事柄として記されています。
民数記の1章や26章を見ますと、神がモーセに対して指示を与え、モーセはその指示に従って人口調査を進めます。
またサムエル記下24章を見ますと、ダビデが神の命令によらずして人口調査を行ったが故に災いを招いたことが記されています。
人口を数えるということは、人々を自分の持ち物とみなし、自分がそれをどれだけ持っているのかをはっきりさせるということです。
イスラエルは神に属する民でしたから、本来ならば王といえども人口を数えることは許されていませんでした。

さて、アウグストの人口調査の目的は、人々から税金を集めることでした。アウグストにとってローマ帝国の民はすべて自分の所有物でした。事実、彼の命令によって人々は皆自分の町に帰らねばならなくなるだけの力をアウグストは持っていました。アウグストの命令が人々を動かすのです。誰も彼に逆らうことはできません。この世を治める力は彼こそが持っているように思えます。
イスラエルの民がいくら神が世界を治めておられると言っても、現実はこの世の力ある者が支配しているのだ、神の民といえどもその命令に従わねばならないのだ、ということを見せつけられている思いがします。

2:3 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。
2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

ナザレ〜ベツレヘム間は、およそ120Km。新宮〜三重県津市とほぼ同じ距離。

2:6 ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

ベツレヘムの町は、この勅令のために大混雑だった。
客間とありますが、普段からたくさんの旅人がある訳ではないので、仮の宿、仮宿ではないかと言う人もある。丁度、災害の時の避難所のようなもの。
人であふれていて、家畜小屋しか場所がなかった。
この世の王の命令で、人は右往左往していて、神に思いを向ける余裕がない。
仮宿に余地がないだけでなく、心にも救い主を迎える余地がない。
けれど、その余地のないところに救い主は来られた。

ベツレヘムへの120kmの旅も大変だったでしょうが、救い主は天からこの世へとやって来られました。
罪による隔たりも困難も、無関心をも超えて、救い主は天からこの世にやって来られたのです。

人口調査は税金を集めるために行われました。ローマ皇帝にとって国民は所有物でした。
人を人として見ることができなくなっている時代に、この世の力ある者が自分のために力をふるい、人々を苦しめている直中にイエスはやって来られました。
神から遠く離れ、罪に苦しんでいる人々を救うために、神のかたちに造られた人間の幸いを回復するために、救い主イエスは人となってこの世にやって来られました。
しかし人々の心はこの世のことでいっぱいでした。イエスが生まれた時も、人々にはイエスを受け入れる余地はありませんでした。人間には救い主を迎える用意はありませんでした。けれども救い主は来られました。

ルカはなぜアウグストの人口調査のことを書いたのでしょうか。
旧約聖書ミカ書5章2節、4節に、
ベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。
彼は主の力により、その神、主の名の威光により、立ってその群れを養い、彼らを安らかにおらせる。今、彼は大いなる者となって、地の果にまで及ぶからである。
と記されています。
救い主はベツレヘムから出ると預言されていたのです。
その預言が成就したのは、アウグストの勅令が出されたためです。
異教徒であり、この世の権力者の信仰とは全く関係ない思いや考えが、神の救いの実現のために用いられているのです。

ルカによる福音書は、ローマにいるクリスチャン、キリストに関心を持つ人たちに向けて書かれました。まさにローマ皇帝のお膝元で暮らす人たち。皇帝の権威をまざまざと見ながら暮らす人たち。けれど、皇帝がどんな権威をふるったとしても、すべては神の御手の中にあるのです。神はそのすべてを御手に治めて救いの御業をなさるのです。

今日は、私達の国では選挙が行われます。
どんな結果が出るか分かりませんが、私達は選挙を終えて失望するかも知れません。思い描く未来とは反対の方へ向かって行くと思えるような結果になるかも知れません。しかし神はそれさえも用いて救いの御業を実現なさるお方です。

神はわたしたちの救いを成し遂げるために、すべてを導き、すべてを用いられる。
人間のすべての営み、この世のすべての出来事、それは神の御手の中にあり、神はそれら一切の事柄を救いへと導いていかれる。
ルカはそのことを明らかにしようとして、この福音書を書き記したのだと思います。

讃美歌115
1 ああベツレヘムよ などかひとり
  星のみ匂いて深く眠る
  知らずや、今宵くらき空に
  とこよのひかりの照りわたるを

2 ひとみな眠りて知らぬまにぞ
  み子なるキリスト生れたもう
  あしたの星よ、うたいまつれ
  「神にはみ栄え、地に平和」と

3 しずかに夜露のくだるごとく
  めぐみの賜物 世にのぞみぬ
  罪ふかき世にかかるめぐみ
  天より来べしとたれかは知る