風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

梨木香歩=作『雪と珊瑚と』(角川書店)


 雨が降っている。
 午前中の店内には、客が二人、・・。窓の外の木々にはもう、新緑の頃の若々しさは見えない。深い緑陰を抱えて、しんと静かだ。大きさと質感の違う木々の葉に当たって落ちてくる、テンポも音量も違う雨音が、開け放たれた窓から、湿り気のある緑の匂いと共に入って来て、薄暗い店内に響いている。
 珊瑚はこの雰囲気を壊したくなく、できるだけ音を立てずにカウンターの中で作業を進め、ランチタイムに向けての総菜の仕上げにかかっている。
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 こんな湿気がある日でも、不思議にそれが心地いいのは、壁がそれを吸い取るからだろうか。珊瑚は厨房へ戻る際、壁面がいつもより色の濃く見えるのに気づいた。

4月30日、大好きな梨木香歩の新刊が出た。『雪と珊瑚と』
シングルマザーの珊瑚が、元修道女のくららから料理を教えてもらって「総菜カフェ」を開くというストーリー。

梨木さんは、エッセイ『春になったら莓を摘みに』(新潮社)の中で「シュタイナーの教師養成学校に入りたくて、」英国に渡られたと書いておられる。以前、私もシュタイナー教育について本を読んでいたことがあるのだが、その中で、8年生か9年生のカリキュラムの中に「履歴書を書く」というのがあったように思った。(今回調べ直して、手持ちの本の中には見つけられなかったので、図書館から借りて読んだ中にあったのか、あるいは思い違いかも知れないのだが・・)
『雪と珊瑚と』の中には、お店を出すために受ける融資の申し込み書に記載する内容が細かに描写されている。この辺りには、かつてシュタイナーの教員になろうとしておられた方が書いた物語という特徴が出ているのではないかと思ったのだった。生きて行くということは、向かっていく目標や夢を持つということと同時に、現実の具体的な(面倒だと思える)事柄を一つ一つクリアしていくことなのだと思う。
総菜を作る野菜を仕入れる農家についても、二つの農家が描かれている。どちらも無農薬で野菜を作る農家だが、一つは雑草をそのままにしている農家、もう一つは綺麗に雑草を抜き取っている農家。その二つのどちらが良いと決定付けて描くのではなく、「このような考えでこのようなあり方をとっている人達もいる」という描き方をしている。そこが、いいと思う。食に関連して農業のあり方を考えることがますます大事な時代へと、私達の日本は、いいえ、私達の地球は突入しているのだと考えさせられたことだった。


「ごあん、おいちいねぇ」
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「そうだね、雪。ごはんって、なんておいしいんだろうね」
「ああ、ちゃーちぇねぇ」
 と雪は重ねて言った。
 ちゃーちぇ、が、「幸せ」だと気づくと、それがくららのおいしいものを食べたときの口癖だと分かっていても、珊瑚は胸を打たれた。
                         (『雪と珊瑚と』(角川書店)より引用)