風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

すべての人のために死を味わう

クリスマス礼拝の説教題は、
「すべての人のために死を味わう」。

聖書の箇所は、ヘブル人への手紙2章5節から11節

いったい、神は、わたしたちがここで語っているきたるべき世界を、御使たちに服従させることは、なさらなかった。聖書はある箇所で、こうあかししている。
「人間は何者だから、
 これを御心に留められるのだろうか。
 人の子が何者だから、
 これをかえりみられるのだろうか。
 あなたは、しばらくの間、
 彼を御使たちよりも低い者となし、
 栄光とほまれとを冠として彼に与え、
 万物をその足の下に服従させて下さった」
「万物を彼に服従させて下さった」という以上、服従しないものは、何ひとつ残されていないはずである。しかし、今もなお万物が彼に服従している事実を、わたしたちは見ていない。ただ、「しばらくの間、御使たちよりも低い者とされた」イエスが、死の苦しみのゆえに、栄光とほまれとを冠として与えられたのを見る。それは、彼が神の恵みによって、すべての人のために死を味わわれるためであった。なぜなら、万物の帰すべきかた、万物を造られたかたが、多くの子らを栄光に導くのに、彼らの救の君を、苦難をとおして全うされたのは、彼にふさわしいことであったからである。実に、きよめるかたも、きよめられる者たちも、皆ひとりのかたから出ている。それゆえに主は、彼らを兄弟と呼ぶことを恥とされない。


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