風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「十字架」(2020年4月5日礼拝説教より抜粋引用)

説教「十字架」

            聖書:マタイによる福音書 27:32~54(新共同訳)

(略)

 ここには人間にとって最も辛いことが、凝縮されているかのようです。理解されない、拒絶される、捨てられる、あざけられる、あなどられる。肉体的な痛みと精神的な苦しみのすべてがイエスの十字架に注がれました。

 ペトロの手紙一はイエスの十字架を次のように語ります。「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。』ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。」(1ペトロ 2:22~24)

 罪がわたしたちにもたらしたすべての痛み・苦しみをイエスは負ってくださったのです。

 わたしたちが義によって生きるようになるためです。

 わたしたちが生きるための主の十字架なのです。

 主の十字架によってわたしたちは罪から救い出され、支えられて生きるのです。

(略)

 「そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者も」いました。」当時、苦しむ正しき人にはエリヤが天から助けに来る、という信仰があったようです。

 ある人が「すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませよう」としました。けれど「『待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう』」と言う者たちもいました。

 酸いぶどう酒とは酸っぱいぶどう酒のことです。英語の訳を見ますと、ビネガーと訳されているものもあります。ワインから作った酢、ワインビネガーのようなものでしょう。これは苦しみを軽減するものと考える人もいたようです。苦しみが軽減されればエリヤが来ないかもしれないので「待て」と言ったのでしょう。

 「しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られ」ました。(45~50)

(略)

 イエスが十字架で死んだという事実が旧約の成就であるというのは、信仰の理解です。

 ほとんどの人は十字架で信じることはできませんでした。その十字架が教会のしるしとなりました。

 神のわたしたちを救うという思いが真実でありイエスが救いを成し遂げてくださったことを、聖霊が教えてくださったのです。

 イエスの十字架が神の救いの御業であることを聖書は証ししています。だからこそ聖書は神の言葉なのです。

 

 イエス キリストの十字架こそあなたのための救いの御業だと、神は語りかけ、わたしたちを救いへと招いていてくださるのです。

 

ハレルヤ


父なる神さま
 あなたが成し遂げてくださったわたしたちの救い、イエス キリストの十字架を聞くことができて感謝します。御子の命までかけてわたしたちに与えようとしてくださる救いの恵みを心開いて受けることができますように。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン

 

 

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