風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

杉田水脈の「LGBTは生産性がない」から創世記の言葉へ

しばらく前に、杉田水脈議員の差別発言について言及して、「安倍政権の方針に従って『富国強兵』政策を喧伝しようとしたということであり、『生産性』=『産めよ、殖えよ、兵士となって戦えよ』ということだ」、とツイートした。

それから、「うめよ、ふえよ」って良く耳にする言葉だなと思って、聖書を思い浮かべた。

あなたたちは産めよ、増えよ 地に群がり、地に増えよ。(創世記9:7)
だけど聖書では、この後に「兵士となって戦えよ」とは続かない。むしろ、この前には次のように言われている。

人の血を流す者は 人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。(創世記9:6)
「産めよ、増えよ」は、聖書においては、神からの祝福なのである。

世の中には似て非というものがある。


さて、私はこのツイートの続きで次のようにツイートした。


安倍政権は、LGBTの方達が生きやすい社会や法の整備など、これっぽっちも考えたことはないでしょう。社会保障も削っていってるわけだから。憲法を変えたいのもひたすら戦争をしたいため。そこを分からないといけない。

このところ世界各国で同性婚というものが取り上げられ、社会的にも認められるようになってきた。法的に同性婚が認められないと、片方が亡くなった場合も財産の相続などができないということになるようだ。こういった点では法的にも整えられていくのが良いのではないかと私自身は考えている。
旧約聖書を見れば、寡婦なども守られるように、神から掟が与えられている。主がお与え下さる掟は、本来、共同体の中で人々を生かすためのものなのである。

主よ、この地はあなたの慈しみに満ちています。
あなたの掟をわたしに教えてください。(詩編119:64)

しかし、実際に身近な人間での同性婚を認めるかどうかは、個々の場合で違ってくるだろうと思っている。異性間の結婚でも反対する場合があるように、同性婚でもそれぞれの場合で考えるべきだろう。
かつて私は、同性同士で結婚しようとした人に反対する主旨の手紙を書いたことがある。私の書いた手紙によってかどうかは確認していないが、その人はその結婚を思い留まった。その後結婚して、子供達にも恵まれた。反対するのは、その人達の幸せを考えてのことである。

この時の経緯なども、はてなブログで詳しく書くときが来るかも知れない。