風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」芳賀言太郎のエッセイ第23回



● 『日米地位協定』と『アメリカ大統領選』、 それに『安倍政権の退陣を求める国会前抗議行動』
今日は、金曜官邸前抗議の日ですが、ボクはサボることができない(笑)宴会がありました。どうしても間に合わない。だけど、その後の時間帯の高校生たちの抗議は今日がファイナルです。そちらは間に合う、宴会の終わったあと、おっとり刀で駆け付けました。

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」第23話 レオン 〜古代、中世、そして現代〜
 レオンは…。…。その後、西ゴート王国に属するが8世紀初頭にイスラム勢力が侵入し、大量のモサラベ(イスラム支配下キリスト教徒)が流入した。…。そして、レオンはイベリア半島キリスト教勢力の都市として最重要の地となる。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の拠点の一つであり、その時代には最も多くの救護施設や宿泊施設のある町であった。最盛期には17もあったと言われる宿泊施設の中で最も有名なのが、現在、5つ星の国営ホテルのパラドールとなっているサン・マルコス修道院である。

(中略)

 パラドールとしても素晴らしく、5つ星のラグジュアリーなホテルである。しかし元は救護院であることを考えると、少しは巡礼者も泊めてくれてもよいのにと思う。とてもじゃないが宿泊費が高すぎる。スタンダードツインで一泊200ユーロというのは、一泊5ユーロが普通のアルベルゲなら40泊分、巡礼全部を賄える額である。もっともホテルとして考えれば、この歴史ある建物に2万5千円を支払うことで宿泊できると思えば決して法外な値段ではないのであろうが…。とはいえ、巡礼者には限定5人無料とか、70%offとかにしてもらいたいところである。(ここの部分、久しぶりに笑った。ミルトス

(写真、略)

 レオンの現代建築についても触れておこう。

(大きく、略)

 ホテルのレストランでランチをとり、のんびりとした時間を過ごす。ハガキを書き、郵便局まで散歩に出かける。ポストに投函すればいいのであろうが、なんとなく不安であり、郵便局まで足を運ぶ。おそらく届くのだろうが、ここはスペイン、ラテンの陽気な国と聞けば聞こえはいいが、結構いい加減なところがある。スペインの最高級ワインの産地であるリオハのバルでは、グラスの縁が欠け、下手をすると口の中がワインとは違う液体で真っ赤になりそうなグラスでワインをサーブ(というよりは注ぐと言った方が正しいか)していた。ワインは美味しいのだから飲めばいいのだと言った気持ちだろう。そういう経験をしていると、たとえ郵便局といえ、どうしても心からは信用できない。まあ、それなら窓口に出しても同じだと言われそうだが。(二度目の笑い。ミルトス

(写真、略)

 夜はバルをはしごし、美味しいワインをひたすら飲み、…。(そんなに飲んでは、亜鉛が駄目になりますわよ。でも今日はお誕生日、美味しいワインをどうぞ。ミルトス
(抜粋引用) 

コラム「僕の愛用品」の22回目は、時計
TIMEX Weekender タイメックス ウィークエンダー 8.300円

 ミヒャエル・エンデは『モモ』の中で「時間とは生きるということそのものである」と表現している。(そうだっけ!記憶に無かった。ミルトス) 時間とは何か。ここでその答えを求めるわけにはいかないが、今回の愛用品である時計とは密接に関わる。時計とは時間を刻むものだ。時間を可視化する道具が時計なのだ。
 TIMEXタイメックス)は150年以上の歴史を持ち、…。(中略)
 最初は権威の象徴として、次には高価な宝飾品として、王族や貴族のものであった時計−今もヨーロッパの機械式高級腕時計はそうしたオーラを放っているが−を、誰もが手にすることのできるものとした功績は計り知れない。しかし、日の出と共に起き日没と共に床についていた人間にまで、始業時間と終業時間を知らせ、単位時間生産量を気にさせ、戦闘開始時間を告げる機械を身に着けさせることが人間を幸せにすることであったがどうかは、エンデの「モモ」ではないが―なお考えなければならないことかも知れない。
 ウィークエンダーは、…。
(中略)
 …。迷惑になるため部屋の電気をつけることのできない夜のアルベルゲでは携帯ライトが必要になる。その際にリューズを押すと文字盤全体が青く光るバックライト―かなり明るい―は懐中電灯の代わりになって便利である。(抜粋引用)

以下、娘と読んだ本から


ミヒャエル・エンデ=作『モモ』(岩波書店

 20代の頃、心理臨床医である山中康裕氏の「私は、ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの描く『モモ』ちゃんのようになれたら、といつも思っています。何の言葉もはさまず、何の指示も与えず、ただ相手の話を熱心に聞くというそのことだけで、彼女はたいていの問題を解決してしまうのです」(『少年期の心』)という文章を読んで、初めて、この『モモ』を読んだのでした。その時、私の胸に迫ってきたのは、[モモの孤独]ー真実を知っている者の孤独というようなものでした。

 サブタイトルに「時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」と書かれているように、この物語は、灰色の男とよばれている男達が人間から時間を奪い取ろうとする話です。その事に気づいたモモと友人達は人々に伝えようとしますが、失敗します。そして、モモの一番の友人である観光ガイドのジジも道路掃除夫のベッポも子ども達も灰色の男達の巧妙な罠にはまって、豊かな時間を生きるモモから次第次第に遠ざけられていくのです。罪に堕ちて、神様から離れてしまった私たちには正しく判断するということが出来なくなってしまったのではないか、と思わされる程です。

 1945年、ミヒャエル・エンデ召集令状を破り捨てて逃亡し、反ナチス抵抗組織と関わります。又、画家であったミヒャエルの父親も、ナチス文化政策による帝国文化会の会員になることを拒んだために芸術活動の停止命令を受けています。この『モモ』の最後にある「作者のみじかいあとがき」の中で、エンデは「わたしはいまの話を、過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとしてお話ししてもよかったんです」と書いています。又、物語の中で灰色の男達のことを、「ほんとうはいないはずのもの」「人間が、そういうものの発生をゆるす条件をつくり出したために生まれてきたもの」と説明しています。過去に犯した過ちを私たちはいつでも繰り返す危険性を持っているのだ、ということを突き付けられているようです。

 エンデは「わたしの本は、分析されたり解釈されたりすることをのぞまない。それは体験されることを願っている」と語っているそうです。私は今回、20代の頃に読んでずっとしまっていた本をもう一度、手に取ったのでした。それは、あの頃読んで心に残った[モモの孤独]が甦ってくるような出来事を日常の中で経験したためでした。私の娘は6年生の学習発表会で『モモ』の劇をすることになった時、この本を読みました。その時の感想は聞いていません。けれど、それ以来『モモ』は娘の部屋の本棚に大切にしまわれてきました。いつか又、この本を手に取って、私のように開くことがあるかもしれません。その時、深い孤独の中からではなく、喜びの中で手に取ることを願わずにはおれません。

参考図書:安達忠夫=著『ミヒャエル・エンデ』(講談社現代新書)(絶版)