サムエルは言った。「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない。しかしあなたはイスラエルの諸部族の頭ではないか。主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。(サムエル記上15:17 新共同訳)
今回珍しく新共同訳の「自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれない」という訳がぴったり来た。
私としては、「あなたは、自分自身の目には取るに足らぬ者と映っているかもしれないが、あなたに油を注いで王とされたのは、主なのだ!」と続けたいところである。
サムエル記や列王記を読んでも、人の妻を自分のものにしようと部下を激戦地へと追いやったダビデほどサウルが悪いようには思えないのだが、最近サムエル記を読み返していて、王としてサウルのここが問題だったのだなと思ったのだった。
自分に油を注いで王となさった主(神)を蔑ろにして、部下(人間)の顔色ばかりを窺っている。
サウルはサムエルに言った。「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。(サムエル記上15:24)
これはペテロに対して放たれたキリストの次の言葉へとつながる。
イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。(マタイによる福音書16:23 口語訳)
載せそびれた花の写真をここにも・・。