捨てようと思って扉を開くと、読んだ日付と共に
キリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まるのである
とメモっていた。「ちょっと待て!」と思って、線を引いていないか中を見た。
すると、・・
だが、我々は知っている。このイエスの何もできないこと、無能力であるという点に本当のキリスト教の秘儀が匿されていることを。そしてやがて触れねばならぬ「復活」の意味もこの「何もできぬこと」「無力であること」をぬきにしては考えられぬことを。そしてキリスト者になるということはこの地上で「無力であること」に自分を賭けることから始まるのであるということを。(遠藤周作『イエスの生涯』)
「無力であること」、そこに留まり続けるということ、これは若い頃から今に至るまで、私のテーマであった、と思った。